HOME>Yunnan Yunnan>china >Janua 2010
大河 怒 江
どこう
中華人民共和国雲南省 2010 1
〈怒江第一湾。180度流れの方向を変える。左から右に流れている。2010 1 3〉
(貢山の町が見えてきた〉
〈怒江第一湾の周辺の人々〉
〈羊の群れもやってくる。怒江第一湾で〉
〈私たちが渡った釣り橋。鉄製だがやはり怖い〉
<リス族のトイレは豚小屋と連動している〉
今回私は、大河「怒江」にこだわった。チベットを河源とし、ミャンマー国境沿いに深い峡谷を刻み1500q。国境を越えミャンマーに入ると「サンウイン川」と名を変え、更に2450q。計3956qというアジアを代表する大河である。
日中戦争後期戦略上の要地になったこともあり、陸路をどこまで行けるかと言う気持ちになった。1月2日騰沖を出たバスは、2時間後怒江に到達。そこから150q遡り、怒江リス族自治州に入る。自治州の入り口には、先に紹介した軍の「検問所」がある。15q進むと州都「六庫(標高890b)」があった。ここは高度が低く、気温が高くなる。後日新聞によると、予想最高気温は24℃となっていた。
ここでバスをのり換え、更に155q(バス555円 往路3時間復路4時間かかった)北上し福貢(標高1200b)に到着。ホテルらしいものも数軒有り、私たちは一泊1500円で2泊お世話になった。
翌1月3日早朝(夜明けは午前8時)、福貢のバスターミナルに行くが、間引き運転のため北上する便が9時までないという。気合いをいれてタクシーを捜す。奇跡的に一台が通りかかり、9000円(600元)で包車(パオチュー)つまりチャーターできた。
突然のチャーターに運転手はとまどい、とにかく給油(加油チャーヨウ)させてくれと言う。まずは、114q北の「貢山 クーサン」を目指す。峡谷が本格的になり、少し明るくなった一時間後。風穴の峰「石月亮」を望む展望所に到着した。すぐ近くに見えるこれが標高3350bであれば、その奥の山々は軽く4000bを越えることになり、改めてその広大さに驚かされた。
その先も狭い谷道が続き、人や家畜がウロウロしてはらはらの連続である。案の定、タクシーはヒナを一羽踏みつぶし、犬を一匹はねてしまった。
貢山(標高1500b)の町を過ぎ、高度が上がり始まる。42qで車道の行き止まり「丙中洛」の集落に着くが、その直前に「怒江第一湾」がある。入場料100元を徴収する料金所が忽然と現れ、驚いた。温度表示版があり「+8度」となっていた。
払わずに帰るわけにもいかず、怒江が180度流れを変えるポイントである。言葉では到底表すことができない。写真を見ていただきたい。水面の高度が1710bなので、展望台は標高2500bくらいであろう。「怒江第一湾」の内部には村がある。坎桶(マーホー)村と呼ばれかつては、ハンセン病患者を隔離していたようだが、現在6世帯30名の村らしいが詳細は分からない。しかし教会や吊り橋がかかっているのが見え、少しほっとした。
ここは貢山独龍族怒族自治県人口 3万人。リス族 怒族 独龍族 チベット族などが暮らしている。
「丙中洛」の集落の入り口に展望台があり、集落とその後ろに聳える高黎貢山最高峰5128bが見える。雪をしっかりかぶっているこの山の名は、地元の地図には「嗄蛙嗄普山」と記されている。
この町は標高1750bとされているようだが、それは怒江の水面であろう。ここから河原を見ると、「怒江第二湾」とも呼ばれているものが見える。先の「第一湾」と似た景観が広がっている。表示板には「ここは第一湾ではない」と明記され、「中の集落は桃園村といい、怒族30名が自給自足生活している」と言う。
「丙中洛」の集落は、計算すると標高2600bほどになると思う。なるほど観光地の体裁にはなっているが閑散としており、食事(麺75円)した後、すぐにまたタクシーに乗り込む。帰路でも、私たちは「吊り橋」を体験した。安全を考え鉄製のものを選んだが、やはり怖い。ロープに滑車を付けて渡河する「溜索(リュースオ)」も、再び目にすることができた。
午後5時にようやく、福貢の町に戻り、すぐに裏山に出かけた。リス族の暮らしぶりを拝見しようと言うわけである。急斜面に家が並んでいる。
電気は、町に近いところでは来ている。水は、谷から引いてきている。そしてトイレは、豚小屋と連動していた。これはなかなか素朴であった。
<リス族の村が急斜面に張り付いている。〉