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                  激戦地 龍 陵
                           
  りゅうりょう                                             
                                                 2010 5 十勝毎日新聞にて連載
  中華人民共和国雲南省                                           2009 12 30
         
       
            〈龍陵のホテルの窓からの風景。かつての山岳陣地が直ぐそばであった。 2009 12 30>
  
 
    <町の中心にある、抗日を記念する公園のレリーフ〉
  
    
         
     
 (抗日記〈紀〉念館。 この日は閉館していた) 
 
 
 
    
       〈抗日記念館の看板〉

 
   〈夕食にうっかり注文した鶏の足 手がつけられず〉
   

張さんのタクシーは高速道路に戻るとたちまち速度を上げ午後1時にぱ、「龍陵 ロンリン」に辿り着いた。亜熱帯の太陽が眩しく、標高も1000bほどに下がり気温もグングン上がってくる。
 ビルマルート上にあるこの町も、激戦地として名高い。ただ拉孟とは違い次々と援軍が送られ、玉砕からだけはまぬがれている。

まずは、宿を決めなければならない。都市と言えるほどの体裁はないが、何となく中心街はある。
 ある宿で料金を尋ねると、宿主は難色を示している。「ひょっとして、この町は」と不安がかすめる。ホテルらしい宿を探し当て再び尋ねると、「外国人は証明がなければ宿泊できない」という。表向きこの国には既に未開放地域は存在しないが、ミャンマー国境と麻薬(黄金の三角)地帯を間近に控え実際には外国人に制限を加えているようだ。
 宿の女主人と一緒に公安(警察)に、許可をもらいに出かけることになった。町一番の立派な建物に驚いたが、ここで旅の目的や職業などを説明したが、英語のできる方がおらず、入国スタンプの期日をめぐって延々と時間がかかった。

 ほっと一息し、ホテルの部屋からは周囲の小山が一望できる。大戦中この山の一つ一つに名前がつけられ、陣地が築かれた。日本側の守備隊は、当初1500名足らず。そこに約3万の雲南遠征軍が、殺到した。
 そして19447月から4ヶ月に渡って日中両軍が、おびただしい血を流しながら繰り返し激しく陣地を奪い合った。
 攻防戦の初期は突撃を繰り返す国民党軍に対して日本軍は、相手の気勢を征するように突撃で応戦し白兵戦になったという。
 その後国民党軍は、戦法を変えた。人力に頼らず、日本軍の50倍以上の徹底的な砲撃を浴びせてから陣地を奪い取る戦法である。どちらにしても凄惨な戦いであり、町は廃墟と化した。

この町には、「抗日戦争記(紀)念館」があるはずだが、それは探すまでも無かった。町の中心街に記念館と立派なレリーフが作られ、更に移転された日本軍のトーチカとともに市民公園として整えられていた。
 大きなレリーフには、日本軍の侵攻と市民が被害を受けるシーンからやがて連合軍の反撃が始まり町を奪い返すストーリーにまとめられている。
 残念なことに記念館は閉館中であったが、「愛国主義教育基地」という大きな看板と町の大きさにそぐわないその広いスペースに、私たちは後ずさりした。
 「これでは日中関係は、まだまだうまくいかない」。そばで古田君が、呟いた。私も同感であった。

そんなこともあり、何となく私たち日本人対して住民の「冷たさ」を感じた。また南国とは言えこの時期朝方は零度近くまで気温が下がり、宿代僅か1200円とは言え暖房設備の無い部屋で私たちは寒さにも凍えた。
 宿を発った翌朝親切だった宿の女主人が、「拉孟(松山)には行かれましたか」と尋ねてきた。私が大きく頷くと、満足したように笑顔を返してくれた。この笑顔に私はようやく少しの安堵感を覚え、次の玉砕の地「騰越とうえつ」に向かった。


   
龍陵への行き方

 ミャンマーに続く幹線道路の上に位置するため、整備された高速道路が昆明から完成している。町の中心にバスターミナルがあり、各地に路線が延びている。
 龍陵から騰沖への道は、悪路として有名であったが、近年少しずつは整備されているため3時間弱で行くことができる。途中一箇所だけ、バスから乗客が全員降り徒歩で橋を渡る箇所があった。

      
       

                          
                             
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