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世界の屋根パミール高原とパキスタン国境へ
新疆ウイグル自治区 十勝毎日新聞にて連載
〈標高3600㍍のカラクリ湖畔からムスターク山7546㍍を望む。 2011 8 9 撮影〉
〈コングール山7719㍍の展望は素晴らしい)
〈雪解け水が道路をふさぐ)
〈我東西 私のものよ と キルギス族の少女が
ネックレスを差し出す)
〈カラクリ湖畔でキルギス族の人々と〉
〈タジキスタン国境に続く山道、さすがシルクロード〉
翌8月9日私はガイド兼ドライバーと二人で、前日追い返された公安検問所を通過しタジク族自治県に入った。私は幸運にも、話に乗ってくれる旅行社と巡り合ったのである。ここでは外国人は運転手とガイドの計2名の同行が義務付けられているが、一人足りない。私はガイドの「日本人の友人」ということで切り抜けたが、正直はらはらした。
コングール山7719㍍の展望も、素晴らしい。しかしホッとしたのもつかの間、今度は標高3000㍍手前で川が道をふさいでいた。私は気が付いた。「このことだ。昨日最初のタクシーが言っていたのは」。
「氷河の雪解け水です」と、ガイド。私は車から飛び降りて歩いて渡ろうとしたが、徒歩でも渡れない。「行けるんですか」「前の車が行ったから行けます」という形で、強行突破していく。
「午後になると気温が上がり、水が増えて渡れなくなります。予定を変えます。今日のうちにパキスタン国境の峠を往復して、明日はここを午前中に通過します」となってしまった。のんびりしていられない、1日で山道を600㌔近く走らなければならなくなってしまった。
高度が3000㍍を超えると、平原が広がりだした。世界の屋根「パミール高原」である。ここにも三千年前から道があり、隊商が行き交ってきた。隊商宿(キャラバンサライ)の跡が見える。行ってみようと吊り橋を渡ると、キルギス族が暮らしている。顔立ちが日本人に似ている。
少女が現れネックレスなどを私に見せる。私に買ってもらいたいのだろうが、驚いたのは「これ私のもの」とその明瞭な中国語である。この後タジク族の少女とも話をしたが、やはり明瞭な北京語(標準中国語)であった。大人たちは話せなくても、子どもたちは中国語を話す。
「中国政府は教育に熱心なんです。辺境地区では寄宿舎にいれて学校に行かせるんですよ」、ガイド。なるほど、ここでも言葉から少数民族を中国化していく政府の思惑をどうしても感じてしまう。標高3600㍍に、カラクリ湖が広がっている。周辺には遊牧民のゲル(テント)が並び、ここでもキルギス族が暮らしている。正面には、標高7500㍍のムスターク山が堂々とそびえている。素晴らしい眺めだ。
標高4000㍍のスバシ峠を越えると、右側の山々に道が伸びている。
「タジキスタンの国境です」、ガイド。なるほど、タクシーに電化製品等を満載したタジク族の人が見える。その後同時多発テロ以降閉鎖しているがアフガニスタンへの道にも出くわし、さすがシルクロードである。タシュクルガンで昼食休憩ののち、私たちは更に南下した。パキスタン国境を目指して先を急いだが、ここでも軍の駐屯地に赴きパスポートを人質に更に許可証を貰うという煩雑さである。しかも峠にある駐屯地まで、荷物を運んでくれと私たちの車になにやら食料などを積み始めた。軍関係者のほとんどが漢族で、ここでも傲慢さを感じざるを得なかった。
中パ国境クンジュラブ峠(4700㍍)へと進む道は、立派なものであった。KKH(カラコルムハイウェー)と名付けられ、パキスタンの首都イスラマバードへと続く現代のシルクロードである。
峠では監視役の兵隊が乗り込んでくる。酸素が少なく、カシュガルから観光で来たという中国人の若い女性が、頭痛と吐き気で動けなくなっているのを見ると、行動はゆっくりが原則である。
国境周辺は、高山が美しさと高さを競い合っている素晴らしい風景が広がっている。そして国境線に辿り着く。立派な舗装道路は、国境線できっちりと終了していた。パキスタン側は、未舗装のただのただの砂利道になっている。これもまた、中国の経済発展を象徴する風景であった。
クンジュラブ峠
現地での発音はフンジャラブ峠。kは発音されない。標高については、資料によって異なり主に4694㍍説と4900㍍説等があるが、現地に高度計を持参したところ4600㍍終盤を示していた。
〈パミール高原でパキスタンとを行き交う国際バスとすれ違う) 〈タシュクルガンで出くわしたタジク族の花嫁〉
〈3700㍍付近でであった13歳タジク族のビィビィアイチャンさん〉 〈クンジュラブ峠〈地元ではフンジュラブ〉の、中国側国境ゲート〉
〈クンジュラブ峠からパキスタン側を望む。突然未舗装道路となっている。午後7時を過ぎ私たちは帰路についた。 2011 8 9〉
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