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 民族問題の道 現代のシルクロード
                               

  
新疆ウイグル自治区                                           十勝毎日新聞にて連載                     
   

     
                   〈カシュガル市内を警備する武装警察  市中心部西域広場で  2011 8 11撮影〉                      
 
 
  〈現在外国人の行く手を阻む盖孜ゲイズ公安検査站)
   

 
          〈当初利用した小型トラック)
 
 
        〈事件を伝える新聞 2011 8 2)

 
   〈事件現場。カシュガルの中心 商業歩行街にある〉

  
      〈事件現場の武装警察。2011 8 8 撮影)
          



「ここから先の外国人の単独行は認めない。戻りなさい」。中国新疆ウイグル自治区西部の中心都市カシュガルから南に
180㌔、ゲイズ公安検問所の係官にタシュクルガンタジク族自治県に入域しようとしていた私はそう告げられた。
 現場は標高
2300㍍、目前に標高7700㍍のコングール山が覆いかぶさるように聳え立っているまさに絶景の地での出来事である。 

心当たりは有った。ここで「外国人特殊時期」とメモを渡してくれる人も現れたが、数時間前にカシュガルのバスターミナルでタシュクルガン行きの切符は買えたものの乗車を拒否され、「外国人は10人以上のグループでなければ、必ず検問所で追い返される」と聞かされたばかりであった。 また直前まで乗車していたホータンからの夜行寝台バスでも、執拗に真夜中の身分証チェックを三回も経験していたのである。(88)

私はターミナル前にたむろしている、「問題ない。必ず通れる」というタクシーに乗ることになった。タクシーはその足で公安(警察署)に行き「通行証」を手に入れたが、「どうやら雪があって、この車では無理だ」ということになり、私は荷を積んだ小型トラックに乗り換えさせられた。  何も知らぬそのトラックのウイグル人運転手は、検問所で追い返されると「俺には問題がない。おまえに問題があるんだ。俺はタシュクルガンに、行かなければならない」と言いだし、全額料金(600)の支払いを求めてきた。
「半分だろ」などと応酬しても、埒があかない。仕方がなく支払い、私はカシュガルに戻る車を探し始めた。すると、呆れたことに「
100元でカシュガルに戻ってやるぞ」と言い出した。私は相手にせず車を探し始めたが、なかなか車はなく結局彼のトラックに再び乗ることになってしまった。  
 私は「タシュクルガンと中パ国境クンジュラブ峠行きは無理かもしれない」という思いと、合計700(9000)という大金と丸一日を失ったことで、失意に沈んだ

2時間かけてカシュガルに戻ると、現地旅行会社を廻った。現地団体ツアーに潜り込めば、タシュクルガンタジク族自治県に入れるはずと考えたわけである。炎天下を三社廻ったがいずれも無理とわかり、ホテル探しに切り替えた。しかしこれはさらに難航した。私が目指す低額ホテルでは「ご承知のように、あの事件以降警察から外国人の宿泊は禁じられております」と、口をそろえる。

 あの事件とは、7月18日に発生したホータンでの派出所襲撃事件と730日31日にカシュガルで連続して発生した「無差別襲撃事件(死傷者53名)」を指す。数十名の死傷者を出した一連の事件はウイグル族の民族運動に関わるテロ組織の犯行と中国政府は発表し、緊張が一挙に高まった。
 2年前には自治区の首府ウルムチを中心に大規模な争乱が起こり、多くの死傷者と行方不明者を出している。ウイグル問題はチベツトと並ぶこの国最大の民族問題に発展していた。果たして、真相はどうなのだろうか。

 武装警察が厳しい警備を敷くカシュガル市内で私は、幾人かの市民から直接話を聞くことができた。「カシュガルの人口は現在70万人です。かつて3パーセントほどだった漢族(多数派の中国人)は、現在20パーセントになっています。彼らは主に開発の遅れている内陸部から、商売をしにやってきます。学校を出ても、ウイグル人には仕事がありません。漢族にとられてしまうのです。逆に私たちウイグル人は、出稼ぎに行かなければならないのです。あの看板を見てください」。

彼が指さした看板には中国語だけで「広州新城・・財富動力・」という文字が並んでいた。つまり「広州のような町を新しくこの地に作り、大いに財力を富ませよう」という、いわば漢族だけの発展を願う内容である。ここに「漢族中国」のウイグル自治区に対する、はっきりとした経済進出(侵略)が見て取れる。

確かにカシュガル市内の、再開発工事は大変な勢いである。町中が工事中といえる。「老城」と呼ばれる古いウイグル人住宅は次々と姿を消し、同時に進出してきた漢族とウイグル人の棲み分けも進んでいた。これは「豊かに経済発展を続ける漢族」と「貧困のまま取り残されたウイグル人」の構図である。
 あるウイグル市民が、私に話した。「私たちは決して彼らを漢族とは呼びません。中国人と呼びます」。


  


   
  
 〈事件の被害者 TVから 2011 8 3 撮影〉   〈カシュガルではウイグル族と漢族の棲み分けが進んでいた。 ウイグル人地区で〉     


       〈カシュガルではウイグル族の古い住宅が取り壊され、再開発が進んでいる 2011 8 10〉  
     

                             
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