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    民族紛争の道
          ウズベク人とキルギス人

                ジャララバードとオシュ

                               
  
キルギス共和国                                         十勝毎日新聞にて連載予定                                            
 
   
        〈国境ゲートが開かず炎天下に立ち尽くすウズベク側の人々。  オシュ近郊ドゥストック国境 2012 8 7撮影〉 
      
              
 
  

 
   〈テョルアシュー峠3586㍍下のトンネル前で〉

 
   
 〈標高2500㍍あたりにはユルタが点在する〉

  
         〈アラペル峠3184㍍は平坦〉
 

 皆が押し黙っていた。私は数多くの地元の人々に民族問題について意見を求めたが同じ結果であった。

 ソ連崩壊と同時にそれまで抑え込まれていた民族主義が、旧ソ連領内を中心に各地で噴出した。中央アジアもその例外にはならず、特にキルギスでは南部を中心にこの問題が爆発した。

キルギスでは人口の65%をキルギス族が占めるが、南部に限るとウズベク族が50%を超えてくる。政情不安と同時に経済的不平等などを理由に、ウズベク族とキルギス族が衝突を繰り返してきた。
 南部の中心都市オシュとジャララバードではソ連崩壊時の90年と四月革命の起こった2010年に大規模な衝突が起こり、数百名の犠牲者を出している。
 この時代に民衆が武器をとり、生活の場を共にしている他民族を殺害することが本当にできるのであろうか。私はまず首都ビシュケクからタクシーに乗り〈約2000円〉、580㌔南のジャララバードを目指した。

山岳国家のキルギスの山々は美しい。3000㍍を超える美しい峠を二つ超えるが、運転手は踏めるだけのアクセルを踏み猛スピードで走り抜ける。景観を楽しむ余裕は全くなく運転手と口論を繰り返すこと10時間、へとへとになって人口10万ほどのジャララバードに辿り着いた。

なるほど民族衣装のウズベク人の姿が急に増える。町中に特別な緊張感はないが、なるほど裏通りに入ると店じまいしている商店街が続いていた。翌朝、更に100㌔南にあるオシュ市に移動した。町自体には平静でやはり変わった様子は見受けられない。
 2年前当時崩壊寸前だったバキエフ政権支持勢力のウズベク人が武器をとり、キルギス人と衝突を繰り返した。キルギス側の警察などが民間人に武器を横流ししたとも伝えられ、この町は戦場と化した。

やや拍子抜けした感があったが、私は5キロ東にあるウズベクとの国境に移動した。国境のゲートがなかなか開かない。炎天下に行列ができる。ようやくキルギス側の手続きを終えたが、今度はウズベク側が完全にゲートを閉じている。しびれを切らした住民たちが、大声を上げている。涙ながらに嘆願している女性も見える。これでは、今日は無理だと私も諦めかけた。
 暫くすると欧米の旅行者グループが現われた。ガイドが交渉を始め、彼らだけがゲートを通過し始めた。咄嗟に私も仲間に入れてもらい、恐縮ながら国境を通過することができた。こうして私は国境を通過できたが、ウズベク側にも同様の光景が見えた。国境ゲートが閉められたままになり、住民たちが炎天下に立ち尽くしている。事件以降、住民たちの出入国には大きな制限が加えられたという。

 2年前の民族衝突の時にはキルギスを脱出しようと、国境に40万人のウズベク人難民が押し寄せた。ゲートの開放をめぐり大変な混乱が起こったという。難民の流入を抑えるウズベク政府と難民たちがここで押し問答を繰り広げた。

「そもそもウズベク人の多い地域をキルギス領にしたソ連政府の、国境線のひき方に問題があるのです」と、国民は口を揃える。複雑怪奇な国境線が、現代も多くの問題を引き起こしている。大国ソ連の政治的思惑に翻弄された小国の悲劇はここにもある。
 しかしなぜ一般市民が武器を取り、殺人までできるのか。解答が見えぬまま私の旅は続いた。
                             続く 


  
  〈広大なスケールで山岳地帯が展開しているキルギスの典型的な光景。  右は10時間乗ったメルセデスのタクシー。もちろん白タク〉
                                         
   

        
   
          
〈オシュ州の州都オシュ。遊牧の民キルギス人と交易の民ウズベク人の町である。2012 8 7 撮影〉

                        
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