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    イスラム原理主義との闘い
          1999年日本人誘拐事件 

                               

  
キルギス ウズベキスタン                                      十勝毎日新聞にて連載予定                                            
   
    
   〈警官の姿が多いウズベキスタン。待遇改善が進み三ヶ月で戸籍が、そして45歳から年金がもらえるようになった。
                                 人気職業であるが、休日はタクシーなどのアルバイトをしている警官も数多い〉 
      
              
 
 
      〈巨大なタシケント駅 2012 8 10〉

 
   
 〈駅に入るにも厳しいチェックが繰り返される〉

 
    〈アフガン国境テルメズからの夜行列車が到着〉
 

 
 〈サマルカンド行の高速鉄道 座席に着くまでチェック
                      を何度受けたことか〉

  

彼らはよく天国に行きたい。戦って死にたい。イスラムでない奴を殺したいと言っていました。狂っていますよ。キルギスの人間には決して受け入れられない考えです。彼らは機関銃のカラニコフのことを奥さんと呼んでいました。
 最高齢の日本人有家さん〈当時59才〉は、下痢していました。みんな20キロほど痩せたと思います。そしてゲリラと仲良くしないと、いつか殺されると思いました。ゲリラともお互いにニックネームをつけて呼び合うようにしました。
 私はキルギス人としての誇りを見せたかったこともあり、始めは礼拝もしませんでしたが、このままでは殺されると思い日本人を誘って礼拝を始めました。私がコーランを詠み、日本人たちは私に倣いました。しかし、幾度も殺されると思いました。みんな疲れて自暴自棄になることもあったのです。
 ゲリラたちが同じ人質のキルギス人司令官を蹴ったりしていじめることが多くなり、私は日本人から離れて司令官のそばにいることが多くなりました。日本人は私のこのことを理解してくれました。人質交換を要求しているゲリラたちには、俺たちを殺すと君たちの仲間も殺されるんだぞと言いました。
 犯人組織のナンマガニー司令官には、毎週のように会っていました。いつも同じことを言っていました「インシヤアッラー」と。彼は米軍のアフガン空爆が始まるとすぐに、米軍のクラスター爆弾で死亡したのです。
 ゲリラの一人が、人間だって鶏と同じようには首を切り落としたら、体だけで走り回るんだぞと言っていました。日本人にそのまま通訳するわけには行きませんでした。

 ゲリラたちがあたりに放置している手榴弾や機関銃を手にして、戦おうと思ったこともあります。しかし、ゲリラたちの罠かもしれませんよ。迷いました。日本人は賛成しませんでした。しかし日本人たちも彼らがヘリコプターに乗ってウズベクに舞い降りてイスラム国家を作る時が来たら、最後には戦おうと話し合ったこともありました。日本人は他人のことをいつも考えて行動していました。とても立派です。

拘束中は、主にタジキスタン領内で昼間は壊れた家・洞窟・掘った穴の中・林の中に潜み、夜間移動しました。移動のときは寝ているときに急に起こされて出発ですから、起こされるときはいつも驚き、殺されると思いましたよ。10月3日もうじき山にも雪が降るということで、山を越えキルギス領にもどりました。帰宅後もタリバーンの報復を考えて、半年は兄弟の家に身を隠していましたよ。

 まさに息をのむ話に、私は体が震えた。このような外国人を含めた誘拐事件は、人質交換のためにタリバーン勢力側が数多く実行していた。

 現在でも、キルギスでは髭を伸ばしている人を殆ど見ることがない。髭を伸ばしていると原理主義とみなされ、取締りの対象になるという。

一方ウズベキスタンでは、2000年代連続する爆弾テロが恐怖の対象となった。現在もウズベキスタンでは警官の姿を数多く見かける。職務質問も数多く、タシケント市内ではすべての地下鉄の入り口に警官が配置されていた。そして駅や地下鉄での写真撮影も、現在もなお基本的には認められていないというのが実情である。
 イスラム原理主義との闘い。これが民主化を鈍らせている背景の一つである。そしてもう一つの背景は・・・。続く


  


    
    〈サマルカンドに着いたこの国自慢の高速鉄道「アフラシャブ号」 タシケントから266㌔を2時間半、1800円ほど。
       ただし1日わずか1往復とは驚いた。今回の旅で唯一エアコンを経験した快適な乗り物であった〉
                                            〈薄暗いタシケントの地下鉄。チェックも厳しいが涼しさが長所〉



                        
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