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     一木支隊の全滅Ⅱ
                         アリゲータークリークの戦い


 
 ソロモン諸島                       
    
       
            〈現在の飛行場。滑走路が「アリゲータークリーク」のそばまで伸びているのが分かる。
                                                メルボルン在住 Peter Flahavin 氏より〉

                   
 
 
 〈2008 2 11に収録されたものは、NHK「兵士たちの戦争」
                            で放映された〉


 
    〈現在のレッドビーチ。海岸の狭さに驚かされる)
 
 
  〈死体で埋まるレッドビーチ すべてが一木支隊のもの〉


 
      〈イル川を兵士と同じ方向に渡ってみる)

   
           〈同じく一木支隊の遺体〉

 
        〈あどけない顔が胸を討つ〉

  
         
 〈旗手時代の斎藤さん〉

    
             〈後出さん親子)  
  
   第一梯団(ていだん)の全滅   

一木支隊の銃剣突撃が開始されたのは、821日の午前3時ころからとされている。イル川河口の通称「アリゲータークリーク」と呼ぶ沼と河口を、次々と日本兵が突撃した。

「電流鉄条網があるから、突撃は無理だと曹長から連絡が来たんだ。それで破壊筒というのを俺の分隊15人でもって、鉄条網に突撃したのさ。イル川を胸までつかって、渡ってな。事前に深さを測ったから、大丈夫さ。ワニよりな、サメの方が怖いんだ。
 敵の曳光弾が、ものすごい数でとんできてな。曳光弾なんて、初めて見たさ。俺たちは、占領するまで撃ってはいかんことになっていたんだ。だからな、一発も撃たなかったんだ。とにかく、鉄条網にたどり着いたんだ。その鉄条網の200メートルくらい先に米軍陣地があって機関銃をうってくるんだ。俺たちはそこで立ち往生さ。そこで振り返ったら後ろに14人いたはずなのに、2人しか残って居ないんだ。他の奴等は、みんな死んだんだよ。
 大切な信管を持った奴も、居ないんだ。破壊筒なんて、信管がないと爆発しないんだ。そしたらな、手りゅう弾みたいなものが爆発したんだ。俺の太ももの裏が、えぐれたんだ」旭智輝

旭智輝は、生き残った部下2名と3人で後方に下がりはじめたが、すぐに夜が明けた。

「三人で海の中にはいってな、隠れていたんだ」
 午後1時ころから、米海兵隊は水陸両用戦車4台を出動させた。火炎放射機を備え、生き残った日本兵を蹂躙した。

「俺たちは、壊れて放置されていた米軍の車両の中に入って隠れて見ていたんだ。兵隊たちがな、アリみたいに戦車に踏みつぶされていくんだ。暗くなってから、3人でタイボ岬目指してビッコ引きながら向かったんだ。部下の旭川の菅原はな、尻の肉がなくなってるんだ。なかなか歩けないから殺してくれって言うんだけどな、棒でたたいてせっついて進んだんだ。だけどな、途中で体が冷たくなってきたんだ。仕方なく、自決用の手りゅう弾を渡して、川べりに残してきたんだよ」

こうして米軍の十字砲火を浴び、この日第一梯団911名のうち実に777名が戦死した。生き残っていた134名のうちの約30名は、上陸地点に残されていたものである。

一木隊長も、自決する。一木隊長の死については諸説があるが、単独で突撃した説が現在有力と考えられる。

この日斎藤清は、どうしていたのだろうか。
「総攻撃の時、各小隊ひとりずつ残されたんです。残った荷物を三人一組で折たたみ式舟艇に乗せて、イル川に乗り入れて運ぶことになったんです(小笠原挺身隊と呼ぶ)。私が、選ばれました。合計9名で三隻の舟艇を漕いで、真っ暗闇の海岸沿いの海を進みました。すると、前日全滅した斥候隊の生き残り兵が助けを求めて来ました」ここで、斎藤清らは合計10名となった。

ボートを中川(イル川 アリゲータークリーク)に乗り入れようとすると、干潮にもぶつかりなかなかうまくいかない。(状況を考えると、イル川手前のテナル川の可能性が高い)
「すると、米軍が撃ってきたんです。曳光弾です。そのうち、兵隊たちが戻ってきました。かろうじて生き残った連中です。一木隊長は、連隊旗を焼き割腹したそうだ。連隊旗の菊の御紋の部分は誰かに預けたらしいが、紛失してしまったらしいと言うのです。夜明けも近づいてきたんで、後退することになりました」

斎藤清たち10名は、再び海に戻りボートを漕ぎ始めた。夜が明けると、当然のように米軍機に襲われた。

「飛行機は4機きました。陸上からも砲撃されたんですよ。海岸にもどりジャングルに逃げ込みましたね」ここで10人はバラバラになり、斎藤清は単独でタイボ岬の集結地に向かうことになった。
「途中で、島の住民に会ったんです。お互いに一人でした」

こうして第一梯団は、ほぼ壊滅した。約60名の斎藤清の小隊は、彼以外誰ひとりとして戻らなかった。旭智輝もたどり着いた。

「タイボ岬にたどり着いたらな、30名くらいの兵隊しか集まらなかった。五・六日たったら、死んだと思った菅原が這うようにして戻ってきたんだ。俺も傷がひどくて、歩けなくなっていたな」。

一木支隊の全滅は、太平洋戦争を象徴する戦いである。「無謀な作戦計画の日本」対「物量と計算のアメリカ」の図式が見てとれる。この図式は終戦まで変る事なく、日本軍は自ら破滅していくのである。

  現在の「アリゲータークリーク」

2003812日、現地ガイドフランシスさんの運転する四輪駆動車は、ムンムンする雨上がりの道を進んだ。

一木支隊が次々と上陸した「タイボ岬」を訪問したかったが、50キロの悪路とオーストラリア軍がキャンプを張って立ち入りを制限しているという事で、私たちは第一梯団が壊滅した「イル川河口・アリゲータークリーク」に向かう事になった。

 
米軍が占領したヘンダーソン飛行場(現在のホニアラ国際空港)を右手に見ながら程なく進むと、標識もない小道にいきなりフランシスがハンドルを切った。ぬかるんだ悪路を、四輪駆動車は喘ぎながら進むと海岸に出る。

右手に川が、海に流れ込んでいる。
「ここが、イル川です。奥にみえる沼がアリゲータークリークです」フランシスは足早に進み、そして川を前に靴を脱ぎ始めた。蟹が歩いている。
「渡ります」私たちは、一木支隊が昭和17820日に渡った中川(イル川)をいきなり渡り始めた。西側から東側へ、つまり一木支隊が進んだ逆方向に進んだ。奥には、アリゲータークリークが見える。
「今も、ワニ(アリゲーター)がいますよ」フランシス。
「えっっっっ」

 
うろたえる私を置いてフランシスは、どんどん進む。そして、すぐに生い茂った草の中に分け入った。フランシスは、靴も履かず裸足のままだ。私は、必死にあとを追った。するとコンクリートでできた大きな建造物に、たどり着いた。平成四年に一木会が建てた、立派な記念碑である。「一木支隊奮戦の地」と書かれている。
「一木隊長の亡くなった場所です。ここで一木隊長の遺体や階級章などが出で来ましたよ」フランシス

とにかく、草が生い茂っている。
「慰霊団が来る時など時々は、私たちが草を刈ります。地元の子供たちを、大勢連れてくるんです。お礼などにノートなどを配るんですよ」
 そうだったのか。このようにして保存状態が保たれていることを知り、頭の下がる思いであった。
 頭上にものすごい爆音が響いた、すぐ頭上を飛行機が離着陸している。

 一木支隊の目指した飛行場は、本当に近い。

私は、供物として「池田ワイン」を持参していた。これは、北海道池田町の遺族後出やす子さんに託されたものである。
 この附近で、後出さんの兄後出喜代治が亡くなっている。亡くなった777名のうちの、一人である。池田町の赤ワインが、慰霊碑のそばの砂地に吸い込まれていく。
「後出さん、飲んでください。故郷のお酒ですよ」 彼もまた、僅か23歳であった。

昭和17年、北海道池田町の生家に最後のハガキが届いた。内容は、
「元気デ居ル 返事ハヨコスナ」とだけ書かれたものであった。なんと死を覚悟した悲しいハガキであろうか。伝えたいことが、沢山あったに違いない。

後出喜代治は、この第一梯団に属していた。
「兄は斥候隊に、志願したらしいです。5人が一組になってイル川を渡る前に、そうアメリカはスパイを沢山おいてね、待ち伏せしていたようです。砲弾を浴びて、上半身が無くなったそうですよ。即死ですからね、苦しまなくて済んだので良かったんですね。腰につけていたものが、遺品として届いているんですよ」後出やす子

再び、私達は中川を渡渉する。前方の海に視線を向けるとオーストラリア軍のフリゲード艦が見え、そのバックには日米が海戦を重ねたサボ島が見える。

 再び海岸に戻ると、アメリカ軍が上陸してきたレッドビーチが遠望できる。静かで、なにもない海岸である。 そしてこのあたりの海岸は、777名の死体が横たわったあの海岸である。  想像していたよりも、ずっと狭い海岸である。地球温暖化で海面が上昇しているとはいえ、本当に狭い海岸であった。

「こんな狭いところに、死体が重なり合っていたとは」
 アリゲータークリークで、一木支隊第一梯団はほぼ壊滅した。斎藤清と旭智輝は、上陸地点のタイボ岬に後退していった。旭智輝は、大きな負傷をしていた。無傷だった斎藤清は、友軍の増援をひたすら待った。第二梯団が上陸し始めるまでの一週間が、永遠の長さに感じたという。


          
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