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黒木大隊の奮闘                          
                 シリーズ十勝の戦後60年「玉砕の島サイパン」Ⅲ


  
北マリアナ諸島                                     2005 2 北海道新聞十勝版にて連載         
      
    
                     〈黒木大隊の15センチ砲。2005 1 6〉   
 
 
  



(鎌田君夫さん〉〉        










  


 
             〈立派な黒木大隊の慰霊碑〉




        

          〈昭和13年の弟良明さんと兄君夫さん〉

      
         
 
 6月15日のアメリカ軍上陸直後から、日本軍守備隊は、総崩れとなっていった。
 しかし、ただひとつ奮闘した部隊があった。「黒木大隊」というわずか12門であるが、強力な15センチ砲で、上陸したばかりのアメリカ軍一個大隊を恐怖のどん底に、突き落とした部隊である。

 この黒木大隊は、空爆と艦砲射撃の4日間をひたすら壕の中に身を潜め沈黙を守っていた。
 アメリカ軍機が上空にいる間は、絶対に撃ってはならない。一発でも砲門を開けば、たちどころに発火点をアメリカ軍に知られてしまい、その結果は、全滅を意味するからである。

 夕刻、勤務時間を終えるようにアメリカ軍機は、沖合いの空母に引き揚げていった。海岸のアメリカ軍は悠悠とテントを張り、口笛を吹きながら食事の準備にかかっていた。そして18時ころ、黒木大隊の砲門が一斉に開き、アメリカ軍の上陸部隊を猛襲した。

 突然炸裂する砲弾に、アメリカ軍は大混乱に陥った。日本軍の砲撃など思いもしなかったアメリカ軍は、完全に不意を衝かれた形になった。こうして、アメリカの第一次上陸部隊を黒木大隊は撃破したのである。日本軍の「サイパン戦最大の戦果」が、これである。

 その6月15日の夜、部隊ではこの大戦果に酒が配られ、祝杯があげられた。兵士たちは、無理にでも酔おうとした。これが別れの酒になることを知っていたから。

 翌日の6月16日、アメリカ軍は早朝から猛反撃を開始してきた。帯広市出身の鎌田君男(きみお)さんが戦死したのは、大隊の観測所付近である。

 鎌田君男さんは、観測通信兵であった。アメリカ兵が、戦車を先頭に急斜面を登ってきた。英語の話し声が聞こえ、20メートル先に迫っていた。観測通信兵10名は、ここで全員での突撃をしている。手榴弾を投げ全員が、喊声をあげて壕を飛び出したという。黒木大隊291名のうち、帰国できたのは僅か14名である。

その黒木大隊の壊滅した地点には、現在大きな慰霊碑が建てられている。慰霊碑へは案内板もなく、谷間の未舗装道路を私は車を走らせた。
 それは本当の谷間にあり、アメリカ軍の上陸地点からは完全に死角となって、発見されにくい位置関係にあった。

 慰霊碑には、戦死した約300名の兵士の名が刻まれていた。「鎌田君男」の名もある。慰霊碑のそばには、当時使用したその15センチ榴弾砲がそのままの形で残されている。この榴弾砲は着弾すると細かく内部が炸裂して、周囲の兵士を殺戮する恐怖の兵器である。戦争は本当に愚かだ。人が人を、お互いがお互いの命を奪い合うのだから。

戦死した鎌田君男さん(大正10年生)の弟の鎌田良明さんと利道さんは、現在も帯広市にお住まいである。
「兄は優しくて、そしてとても手先が器用でした。私は昭和13年に、札幌の師範学校にいました。その年6月の札幌祭りの日に、兄は私をドライブに誘ってくれました。兄は、オートバイの免許を取ったばかりでした。私は兄の腰にしがみついて、国道36号線を走りました。真剣にハンドルを握っている兄の鼓動と温もりが、じかに伝わってきました。
 とこ
ろが、千歳の近くまできたところでガス欠です。簡単に燃料が買えると思ったら、だめでした。ガソリンは、すでに統制品だったのです。やむを得ず、札幌に汽車で戻ってきたのです」良明さん

 平和な日々は、続かなかった。鎌田君男さんは、兵として満州に送られた。野戦重砲兵第9連隊に配属され、牡丹江省の東寧に駐屯する。ソ連との、国境地帯である。

 そして、昭和19年2月に、移動の命令が出た。大隊のうちの、289名が選ばれた。
「兄は、機械を触るのが好きでしたね。兄からの手紙は、昭和19年3月ころからぷっつりと届かなくなりました。時期的に、サイパンに渡った頃からです。亡くなった時の様子が詳しくわかったのも、昭和63年のことですよ」良明さん
  弟の利道さんは、ここ20年ほどサイパン島を毎年のように訪問している。
 「サイパンは、気候がいいですからね。そして兄が眠っていると思うと、なんだかほっとするんですよ」利道さん。


   
                     〈米軍の上陸地点とそこに残る日本軍慰霊碑〉 

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