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 米 軍 の 上 陸                       
                  シリーズ十勝の戦後60年「玉砕の島サイパン」


  
北マリアナ諸島                                     2005 2 北海道新聞十勝版にて連載         
      
    
             〈オブジャンビーチにあるトーチカ。松浦毅さんはここで戦死した。2005 1 6〉   
 
 
 
     (アスリート飛行場にある89連隊の慰霊碑〉〉  
 
            
           〈米軍が上陸を開始した〉

 
    〈上陸できなかった米軍戦車が海岸に残っている〉

      
            〈松浦毅さん〉

         
         〈オブジャンビーチに続く道〉       
 
 昭和19年6月15日、アメリカ軍はサイパン上陸を開始した。アメリカ軍は圧倒的な火力を伴い、制海空権を完全に掌握しての上陸作戦を展開してきた。これに対して、日本軍はなす術がなかった。

森辰雄さんの所属していた歩兵第89連隊第3大隊618名は、満州からの第1派遣隊に含まれ、3~4年兵を集めたいわば精鋭部隊であった。 しかしその戦没者名簿には、585名の名が記され生還者は僅か33名だけということになる。95%が戦死という、驚くべき大隊である。この第89連隊は、その後2876名が沖縄に送られた。そして実に2680名が戦死し、196名だけが生還している。

 サイパンでこの大隊は、アスリート飛行場を中心にした南側の海岸線の防衛にあたることになった。そして、この飛行場周辺一帯で、ほとんどの兵士が斃れたことになる。

現在のサイパン国際空港が、当時のアスリート飛行場である。日本からの観光客が必ず利用する、この島の表玄関である。現在その空港の北側に、第89連隊の慰霊碑が建っている。(1月6日撮影)

 南国の太陽に照らされ、慰霊碑は建っていた。傍らに北海道の島の形をかたどった小さな碑がある。その北海道の形の中には、「紋別市」と大きく記されている。紛れもなく北海道からの部隊であったことが、一目でわかる。

 戦死者名にも、北海道帯広市を始めとする十勝地方出身者の名が並んでいる。この618名は、サイパンでもっとも重要なこの飛行場の防衛にあたったことになる。

 アメリカ軍は、守備隊の予想に反し島の西岸から上陸してきた。第89連隊が構築した陣地の裏側から、アメリカ軍が迫ってくる格好になってしまった。時間は、なかった。
 アメリカ軍は、待ってはくれなかった。この大隊の第12中隊の一員として戦死された1人に、帯広市出身の松浦 毅(つよし)さんがいらっしゃる。

 松浦毅さんの実弟松浦正さん(帯広市在住)は、語る。
「兄は、15日から16日にかけて夜の切り込み攻撃の打ち合わせをしている時に、艦砲射撃を受けたようです。右の肺に破片が貫通して、16日の朝、亡くなったらしいのです。多分この、トーチカだと思います」差し出された写真には、トーチカが写っている。

「実家が、帯広市内で靴や鞄の店をしていました。父は長男の兄を、後継ぎにしようと考えていました。兄は商業学校に行って卒業したあと、店を手伝っていました。気のやさしい兄でした。昭和18年に旭川で入隊したあとも、父と二人で兄に面会に行った事がありますよ。実は、私たちは兄がサイパンで亡くなったことを知ったのは、昭和26年になってからなのです。戦死公報には昭和19年6月15日となっていますが、南方としか書いてありません。
 私たちは、兄の戦死は硫黄島だと思っていたんです。実は、一度だけ兄はサイパン島からハガキを送ってきたことがあるんです。 厳しい検閲がありますから、サイパンとは書けません。 南十字星が見えるとか、椰子の木の下で勤務しているなどと書かれてありました。坂本さん・島田さん・斎藤さんによろしくなどと書かれてありました。実は、最後の坂本さん・島田さん・・というのは、父との間で事前に取り交わしていた暗号だったのです。サイパンという地名を、なんとか知らせようとしたのだと思います」
 しかし、実際にはどうしても父は解読できなかった。 

私が松浦毅さんが亡くなったトーチカを訪問したのは、2005年1月6日であった。
 未舗装の凸凹道の急坂をやっとのことで、レンタカーは下る。大きなコンクリートの建物が海岸に見えた。それがトーチカである。
 想像以上にずっと大きく、頑丈な代物である。内部もかなり広い。

 この中で、北海道出身の兵たちはどんな会話を交わしたのであろうか。トーチカは、海岸に面しているが、現在オブジャンビーチと名づけられていて、ちょっとした穴場的なビーチとして人気がある。

 調子のよさそうな、現地ガイドらしい男が近づいてきた。どこに泊まっているとか、これからどこに行くのかと聞いてくる。私は60年前の出来事を話し、日本から持参した松浦毅さんの写真を見せた。途端に彼は、押し黙ってしまった。


   
       〈オブジャンビーチにあるトーチカ内部〉 

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