HOME〉philippines Philippines 4 >2003-04 オルモックとリモン峠 レイテ島の戦いⅡ フィリピン Republic of the Philippines |
(レモン峠からカンギポット山を見る。眼下の密林地帯を日本兵は進んだ.右は古澤さん〉 |
〈第一師団に所属していた古澤義徳さん〉 (第一師団の生き残り梶尾茂さん〉 〈オルモック湾。静かな朝〉 (山側は山脈が迫る。米軍は山越えの砲撃を繰り返した〉 〈オルモックの北西側〉 〈リモン峠の第一師団の慰霊碑〉 〈リモン峠 直ぐに子供が集まる。〉 〈血の川と呼ばれるリモン川〉 |
「リモン峠」とは、先に紹介した第1師団が死闘を繰返したレイテ島北端にあるなだらかな峠の名である。そしてカンギポット山とは、日本軍1万が立てこもり全滅した魔の山である。この山は標高は低いが山頂部分に鋭い岩石が露出し、遠方からもすぐに確認できる。 レイテ島で亡くなった8万人を地域ごとに見ると、タクロバン2万人、オルモック地区6万人と大別できる。オルモック地区を更に分類していくと、リモン峠7500名、オルモック1万2千となる。この狭い地域に計2万もの死者を出していることに驚かされる。死体の山だったのであろう。 古澤寛美(ひろみ)さんは、 なぜ、東京の第一師団に?古澤家は、明治38年現在の 第一師団 第一師団が駐屯していたのは満州最奥地の黒河省孫呉であるが、昭和19年8月に片岡薫師団長が着任し、8月20日からこの地を出発し南に向かった。フィリピン決戦が迫り、満州の部隊が次々に南方に送られていった。 10月23日フィリピン台湾間のバシー海峡を渡り、27日マニラ港に入る。31日にマニラを出航、翌日11月一1にレイテ島オルモックに奇跡の上陸をしていく。 私は金華丸に乗船してオルモックに上陸し、激戦ののち生還した元第一師団の兵士梶尾茂さんを、 梶尾茂は、大正10年東京都に生まれている。生家は戦車の部品等を作っていた。中学校を中退したあと、中国の青島・大連の民間企業に勤務していた。昭和17年近衛騎兵連隊に入隊し、皇居の警備等にあたっていた後第一師団に転属になり、満州の孫呉に向かうことになる。 私がセブ島から高速船に乗り、このオルモックに上陸したのは2004年1月2日の午後であった。現在は人口数万人の都市であるが、当時はわずか100戸あまりの集落で、第一師団の上陸を見て住民はたちまち姿を消した。 オルモックの町は、どこにでもあるのどかで素朴な町である。町並みは比較的新しい。なぜなら、1995年に大水害の被害を受けてなんと7千名の犠牲者をだしているからだ。 リモン峠 そして第一師団はリモン峠に北上し、アメリカとの激戦を迎える。 私は、リモン峠の山頂にある第一師団の慰霊碑を訪問した。このあたりで歩兵第57連隊2500名が、峠を登ってくる米軍を迎え撃ったことになる。1944年11月9日からレイテ島は雨季に入り、連日雨にも悩まされていた事だろう。ここで兵士は泥の中に眠り、泥の中で戦った。 私は慰霊碑に、日本から持ち寄った餅・日本酒・きびだんごを供えた。第一師団慰霊碑の隣には、第16師団の慰霊碑があるが損傷が大きい。 北峠を下ると、野砲兵第一連隊1900名(セブ転進は僅か4名)の慰霊碑がある。この連隊は36門の砲を持っていたが、砲弾も不足していた。11月13日から砲撃を開始したが、それは微々たるものであった。 日本軍に偵察機はなく、正確な砲撃など出来るはずもなかった。日中は、米軍偵察機が上空に遊弋している。発見されれば、砲撃を受け全滅を意味する。偵察機のいない僅かな時間をみては砲撃し、偵察機が近づくと偽装網をかけなければならなかった。 「一発撃つとね、アメリカから200発くらい返って来たんですよ」梶尾茂。片岡師団長の手記にも、「米軍は機関銃のように砲撃してくる」と記されている。 私達の車はリモンの集落を抜けて、南峠に差し掛かる前に河をわたる。川の名はリモン川であるが、 古澤義徳の通信隊は、その後どうなったのだろうか。 レイテ島には台風はこないが、雨季はルソン島と違い12月から始まる。私が訪問する10日ほど前の2003年12月末にも、レイテ島は大雨に見舞われ、島南部で109名が土砂崩れで死亡している。きっと、この時も激しい雨が降っていたに違いない。南国とは言え、雨は食料不足の兵士たちから確実に体温を奪っていった。 昭和19年12月21日から、第一師団はリモン峠からの撤退を開始した。ジャングルの、道亡き道を兵士たちは進んだ。そして昭和20年1月1日ころに、かろうじて生き残った将兵がカンギポット山に集結している。武器も不足し、小銃でさえ三人に一丁という有様であった。私たちは、そのカンギポット山を目指した。 |
〈リモン峠には多くの慰霊碑がある。右は工兵碑 2004 1 03〉 〈1967年頃のリモン峠〉 〈オルモックの港で〉 〈現在のオルモックの港 2004 1〉 BEFORE〈〈 〉〉NEXT |