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玉砕も許されなかった島 ペリリューⅠ                                 
 

  
バラオ共和国                                          北海道新聞十勝版にて連載         
        

        
             〈米軍が上陸した夕刻、飛行場に突入した17両の日本軍戦車の一台。2009 8 9〉
 
 
 
         (上の戦車はこれかもしれない〉   

  
         〈米軍が上陸したオレンジビーチ〉〉

  
           〈上陸する水陸両用戦車〉〉
  
  
        〈その一台が現在も残っている〉〉

「昭和19年の末に、兄の戦死公報が届いたんです。でも家族みんなで何かの間違いだと信じていたんですよ」。現在帯広市にお住まいの中山守四郎さん(73)は、兄栄一さんの思い出を語った。

 しかし兄栄一は、戻らなかった。池田町の精肉店の跡継ぎであった栄一さんは当時まだ満17歳の海軍少年兵、そして戦死した場所は現在のパラオ共和国ペリリュー島であった。「あのペリリュー島とは・・・」

 私の「戦地取材の旅」は、95年から「シルクロードの旅」を西に進むことから始まる。訪問先で直面したアフガン・パレスチナ等紛争地帯の現実は、かつての「日本人の戦争」を追体験する旅へと変化させていった。 南京から旧満州の開拓団へ、やがて太平洋の南の島に移っていった。ガダルカナル・レイテ・サイパン等20あまりの島を訪問してきた。
「何のための、戦争だったのか。なぜこんな所にまできて、死ななければならなかったのか」そんな強い疑問が、私を遠国へと向かわせてきた。

「この島を4日間で占領する」と考えていた米軍は、猛烈な艦砲射撃の後1944年9月15日から4万の兵士を次々に上陸させたが、上陸時から夥しい犠牲者を出した。

「オレンジビーチ」と名付けられた上陸海岸に立つと、米軍が目標としていた日本軍の飛行場まで最短距離で200メートル程しかないことにまず気づかされる。上陸した米軍の目と鼻の先に日本軍陣地があり、白兵戦も展開された。

 その飛行場の跡地に、現在も日本軍戦車一両と米軍の水陸両用戦車三両が残っている。

 米軍が上陸した日の夕刻、日本軍は僅か17両保有していた軽戦車を全て動員し飛行場を逆襲した。その戦車に米軍のバスーカ砲等が集中し、たちまち撃破されこの攻撃は失敗に終わった。そのうちの1台が、現場に残されている。装甲の厚い大型の米軍戦車と比べると、装甲が薄くその貧弱さに誰もが驚かされる。

 その近くの密林には米軍戦車が見事にひっくり返っていた。44年10月18日米軍機が墜落し、その乗組員を救出した直後地雷に触れ三名の戦死者を出した戦車である。  
 墜落した米軍機も近くにそのまま残されていた。驚いたことに砲弾や日本軍の地雷が、周囲に散乱しているではないか。とても65年前の出来事と思えない臨場感であった。

 その後、標高数十メートルの中部山岳地帯を中心にした日本の洞窟陣地は米軍に包囲されていく。
 「大山陣地」と名付けられた洞窟陣地が、最後の司令部となり、11月末「サクラサクラ・・」と最終電文を発して守備隊長中川大佐らが自決した。それらの洞窟の中にこそ、真の戦争の姿がある。私は洞窟に向かった
   

   ■ペリリューへの行きかた
 まずパラオまでは、グアム経由が一般的だがお勧めしない。価格が半分程度の中華航空を利用するとよい。
これはchina airlineである。台北を経由することになるが、週2便程度あり深夜便ではない。 満席になることが多いので、早めの手配が必要である。
 パラオの中心コロールから、ペリリュー島までは週三便ほどローカルフェリーが7ドルほどで出ているが、潮の関係で不定期である。私たちは結局乗ることはできず、ダイバーズショップのスピードボートを使用した。料金は往復1人80ドル子供は半額であった。ダイバーズショップは日本人経営のものが多く、事前にメールでやり取りすることができる。一時間ほどで辿り着いた。天候が悪いと、ずぶ濡れになるそうである。

   

   
    
                           〈当時のペリリュー島と、現在の滑走路跡〉  

    
              〈密林に残る米軍戦車〉                    〈この飛行機の乗組員を救出するために出動した〉
   
    
                    〈地雷により破壊されたが、現在も地雷が残っている。 そばには不発弾もある〉  
                    
                                      〉〉NEXT
                  
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