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        チビチリガマとシムクガマ                              
                     
生死を分けた二つのガマ  読谷村                                                                    

                  
  
沖縄県読谷村                  
 
     
          〈偶然出会った比嘉盛三さん と 彼がいたシムクガマは「象の檻」の真下にある。2007 1 撮影
       
 
         チビチリガマの入り口
  
 
          〈入り口の前で。2007 11 07〉

  
        〈入り口にある注意書き チビチリガマ

 
     〈チビチリガマの内部 奥へは塞がれている
 

チビチリガマとシムクガマというガマが、読谷村波平地区にある。

194541日、米軍は北谷(チャタン)海岸を中心に上陸し、読谷村に迫った。ここ波平地区の住民は約1000名がシムクガマに、140名あまりがチビチリガマに避難していた。
 悲劇は、チビチリガマで起こる。
 同じ集落にすむ住民が二つのガマに別れて隠れ、それが生と死にはっきりと別れてしまった。ふたつのガマは、わずか2~3㎞しか離れていないが・・。

シムクガマには、たまたまハワイ移民帰りの二人の老人比嘉平冶と比嘉平三がおり、この2人がいたことでチビチリガマと全く正反対の結果をもたらすことになった。
 二人は英語が話せたため、ガマが米軍に包囲されると、ガマを出て米軍に、
「中には、民間人しかいない」と交渉、また住民に対しても米軍は捕虜に対してひどいことはしないと説得した結果であった。
 そのガマでどのような交渉があったかは知ることはできないが、米軍上陸一日目に1000人全員が生還したという事実だけは残っている。 

比嘉盛三(ひかせいぞう)さんは、このシムクガマに避難して米軍に保護されたひとりである。
「北海道から来たんですけど、お話を聞かせてください」
「わしは、シムクガマにおったんじゃ」

 彼は当時32歳で、沖縄防衛隊の一員であった。家庭も持ち、五日間シムクガマに避難していた。中は、もちろん真っ暗だった。
 投降後、捕虜としてハワイオアフ島の捕虜収容所に三ヶ月生活していた。充分な食料が与えられ、野球をしたり相撲をとったりして過ごしたという。

一方チビチリガマは、海岸から1キロほど離れている。標識があり分かりやすい位置にある。しかも、階段が整備されていた。
 まず「平和の像」に目が奪われる。この像は、87年に心ない人たちによって破壊された経験をもつ。そしてガマに入り口に立つ看板には、
「チビチリガマは、お墓です」と遺族会の看板にあるとおり、その内部を見ることはできない。奥は塞がれていた。

 4541日、米軍はチビチリガマ一帯に迫っていた。翌2日、チビチリガマへ避難していた住民約140名中、83名が「集団自決」で命を絶っている。この事実は近年やっと明らかになってきた。その結果、83名のうち約6割が18歳以下の子供達であった。

 「集団自決」は、「国家のために、命をささげ」「生きて虜囚の辱めを受けず、死して罪過の汚名を残すことなかれ」といった、当時の軍国主義により強制されたものである。
 避難していた141名の中には、サイパンでの集団自決や、中国・台湾などで捕虜に対して日本軍が行った残虐な行為を目撃していた人がいた。
「捕虜になったら、辱めを受ける。それは生きているよりもつらいことだ」 
暗いガマの中で、彼らからそう聞かされた人もいた。

4月2日、米軍の投降勧告を無視して、武装した男たちが突撃した。死亡の中の2人は、この時のものである。
 このような状況でガマの中は混乱し、集団自決が米軍上陸の3日目から始まったわけである。

 自決方法は、凄惨であった。包丁・カミソリ等の刃物類をはじめ首を絞めるための縄類が使用されたが、布団などに火を付けその煙を吸って命を絶った者も多い。
 死亡した住民の多くは、子供たちであった。親が子供の命を絶つ光景が、繰り広げられたのである。

                     
   
  
  〈シムクガマの入り口、以前は簡単にいけたが、現在は草が生い茂り簡単に近づけない。内部は海岸に続く大洞窟になっている〉 
    
                                                    2007 1 撮影

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