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  修学旅行での「平和学習」
        
  北海道本別高等学校の取り組み 2009年度版                    
                                                                                       
 
     
             
                     2009年の平和のセレモニー 沖縄平和祈念公園にて
 
 

        
       (三人の白梅学徒さんと本校のスタッフ
 

 
            
           
2009年11月の轟きの壕訪問〉


    

   白梅学徒さんのひとり武村豊さんから「兵士の切り
   取った手足を捨てに行った」体験談などを伺う〉


     
   〈近年は合唱とリコーダーのコラボレーション〉



     
    〈地元から持参した「命の水」を献水する〉

 


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   いかに「心を揺さぶり、耕すか」 

「・・・この戦争で、多くの尊い命や豊かな自然が奪われたことを決して忘れてはなりません。私達がここで感じたこと体験したことを、後世に伝えていきたいと強く私達は思っています」で始まる「平和宣言」。その途中からリコーダーの演奏が始まり、「・・二度と戦争が起こらずすべての人々が平和に暮らせるよう心から願い、宣言とします。ここに眠る皆さん、どうか安らかに眠ってください」と結ばれと、BGМは二部合唱の「涙そうそう」に移っていきます。 去る1111日、2年生74名全員が参加して行われた、沖縄平和記念公園での「平和のセレモニー」のシーンです。
 北海道本別高等学校の修学旅行では、2001年から広島で3度沖縄で4度、同様のセレモニーを実施してきました。
 1995年頃から多くの高校では、それまでの「買い物ツアー」になりがちな修学旅行から脱却し、「体験学習」や「平和学習」を取り入れたものに変化していきました。
 本校でも2001年の「広島」を皮切りに本年度の「沖縄」へと、途中中断はあるものの7度の「平和学習」を導入してきました。

 現在は「平和と人間を愛せる豊かな心を、育てたい」というのが目標ですが、当初は修学旅行を「一生の思い出とする学習の場」と捉え「どうやって子供たちの心を揺さぶり、どうやって耕すか?」という模索から取り組みが始まりました
 
  
大切な体験者との交流

長年の取り組みの中で、「旅先で、誰かが待っていてくれる」「生身の人間と直接会い、体験談を伺い会話する」、そこで初めて「感動や確かなもの」が生まれることに、気づきました。
 2005年と06年は、「ひめゆり学徒」の一人として有名な宮良ルリさんと交流をしました。
 2007年は同じく看護学徒要員「白梅学徒」のひとり金城幸子さんとの交流をメインにしました。

そして「もっと多くの人々と」という思いが通じ、今年度は金城幸子さんが計7人もの「学徒仲間」を連れてきてくださったのです。
 実際に働いていた洞窟の野戦病院跡や計8名が死亡した洞窟(「国吉の壕」)を訪問し、壮絶な体験談を直接伺いました。その後3人から戦争体験を伺い、また食事や歌の交流会を実施しました。

 生きることに真正面から向き合う
  
  
事前学習と準備
 
 
充実した研修にするためには、事前学習が必要です。授業の中での歴史の学習はもちろん、地元の体験者の話を聞く機会も設けました。沖縄戦の体験者上士幌町の満山凱丈さん・足寄町の南義雄さんを学校に招き直接体験談を伺う年もありました。

欠かせない現地訪問

現地訪問は欠かせません。先に触れた白梅学徒の「国吉の壕」を始め、自然洞窟であるガマ(壕)は、住民が戦争に巻き込まれた沖縄戦の象徴的存在です。
 集団自決で有名な「チビチリガマ」等を加えた年もありますが、これまで欠かさず訪問してきたのが、沖縄本島最南端にある巨大洞窟「轟きの壕」です。
 一般住民数百人が避難生活を送り、多くの餓死者も出しています。ここで子供を餓死させた体験などを事前学習し、訪問を続けてきました。
 実際に入る洞窟の中には、日常生活からは想像できない空間があります。完全な闇と閉塞感の世界。ここでも生徒たちは「生きることの意味と、戦争の愚かさ」に真正面から向き合い、そして考えることになるのです。

  心へ「種をまく」
 
 
主体的な取り組み「平和のセレモニー」

しかし単に受け身的に体験談を聞きそして現地訪問するだけではなく、主体的な取り組みも大切です。
「ではいったい今私たちに、何ができるだろうか?」ということです。千羽鶴をおり「本別の水」を持参し「献水」も続けてきましたが、メインは冒頭に紹介した「平和のセレモニー」です。
 当初は、少人数の代表者による歌や楽器の演奏とスピーチが中心でしたが、沖縄に移ってからはより多くの生徒の参加をめざし、近年は生徒全員参加のスタイルをとっています。歌と楽器の演奏、そして平和宣言です。

沖縄戦の戦没者23万人の名前が刻まれている「平和の礎いしじ」。 その中で922名の十勝の戦没者名が刻まれた礎の前で、練習を重ねた歌声とリコーダーの音色が響き渡ります。崇高な時が流れました。
 その帰り道、バスガイドさんが突然「このようなセレモニーを、初めて目にしました。皆さんの歌う姿演奏する姿に、こんなに感動したことはありません」と、涙ながらに語ったのです。
 全員が「やって良かった」「良いことしたな」と思えた瞬間でした。こうして理屈を越え「心で学ぶ」ことも大切です。また私たち教師集団にとっても、生徒とともに準備しそして感動できるとは、何と幸福なことでしょうか。
「平和と人間を愛せる、そんな大人に育ってほしい」。そんな願いを込めて、私たちはこの取り組みを続けてきました。
 人間の心は、急に育つものではありません。いつか花開くための「種」を、これからも蒔いていかなければなりません 
 (蓑口一哲 みのぐちかずのり 北海道本別高校教諭)

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