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ノモンハンへの道
ノモンハン事件現地取材2010夏 その3
十勝毎日新聞にて連載
モンゴル国ドルノド県 2010 8
〈「バインツァガンの戦い」の再現図には圧倒された。スンベル村の博物館で 2010 8 8〉
<チョイバルサンからの道はなかなか見つからない〉
(途中で遊牧民に道に聞くことを繰り返す〉
〈ラクダは元気に暮らしている)
スンベル村への道
ノモンハン事件の「戦場」は、モンゴルの首都ウランバートルから、陸路を片道ほぼ1000キロ。その7割は草原の未舗装路で、2日半を費やしてようやくたどり着くこの国の最果ての地域である。
特にドルノド県の中心都市チョイバルサンから「戦場」に隣接した集落スンベル村までの「メネン草原」と名付けられた大草原を突っ切る340キロには、まとまった集落や給油所は一つもない。水が少なく遊牧民も極端に少ない地域である。
ただ動物は豊かで羊・馬の家畜はもちろん、百頭を超える野生の鹿の群れは壮観であった。自然は豊かだが、車の故障はそのまま死につながることもある。現に帰路では、スンベル村まで62キロという地点で前日の午後3時から立ち往生している車と出会った。まずは彼らに水や食料を渡し、280キロ先の携帯電話の繋がる地点から我々が村に連絡するということになった。故障の原因は単純なファンベルトの切断であったが、冬期間では命に関わる重大事となるであろう。
71年前のノモンハン事件(戦争)の休戦協定の際に定められた「国境線」が、当然ながら現在もそのままモンゴル国と中国を隔てている。
従って現在も「国境地帯」には変わりなく、「国境警備隊」が発行する事前の「入域許可証」が不可欠となる。途中チョイバルサンから168キロのちょうど中間点に、「第308国境警備隊メネン駐屯所」がある。ここでチェックを受ける。時によってはスンベル村まで計3つのゲートでチェックを受けたようだが、今回はこの一回きりで済んだ。現在は、歴史的に関係の悪い隣国中国とはやや雪解け状態のようである。小雨が降り始めた夕刻、ようやくスンベル村を見下ろす丘についた。この日、ここまでにすれ違った車は合計12台であった。
同時にここで初めてノモンハンの「戦場」を見渡すことができた。むろん広大、雲が低く陰鬱な気持ちになる。ここに、「ハマルダワー」と名付けられた巨大な戦勝記念碑が建てられている。ソ連軍の総指揮官ジューコフ将軍の指揮所跡に建てられた。村の大きさからはかけ離れたその巨大さに、誰もが違和感を感る。当時のソ連の、威信をかけた建造物と言うことが分かる。