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  ミッドウエー海戦と空母「蒼龍」Ⅱ
                            佐藤利彦さん


  
アメリカ合衆国                       
 
  
        〈米軍機の攻撃を回避する日本艦隊〉

  
            〈語る佐藤利彦さん〉
 
 
      〈現在のミッドウエー島 Dan King氏より〉

 
   〈現在のMidway は海鳥の楽園になっている。
                     同じくDan King氏から〉


 
        〈傷が治った利彦さん インドネシアで〉

 


 この頃から、「大本営発表」が事実を伝えず、海戦のたびに「勝った勝った」と叫ぶようになる。現在では「大本営発表」といえば、当てにならぬものの代名詞と化している。一度ウソをついてしまった大本営は、この日から最後まで国民にウソをつき続けるのである。

 その後、利彦たちは水蒸気母艦「千代田」に移された内地に回送された。「ひどいもんです。千代田ではただの一度も艦内に入れてもらえませんでした。甲板にずっといたんです」
 帰国しても、多くの将兵が「館山砲術学校」に軟禁状態にされていく。その中に、利彦も含まれていた。幽閉される生活が、始まった。そして、ある噂が広まった、
「ミッドウェーの敗残兵は、秘密が漏れないように又空母に乗せて処分するらしい・」
 果たして、傷の治った利彦に次の転勤先が通知された。
「空母龍驤に、乗船すべし」と。噂は、本当であった


        BEFORE〈〈    〉〉HOME
 
 「私は、機銃を撃ちまくりました。戦闘機の予備として、ドイツ製の20ミリ機関砲とイギリス製の77ミリ機関銃がありました。私たちは爆弾の装着作業を終えると甲板脇にでて、77ミリ機関銃を持ち出し、それをロープで固定させて米軍機の攻撃に備えたんです。そこに、雷撃機が来たわけですよ。その機銃の弾倉は、100発入りです。敵機が来てから引き金を引くのでは、遅すぎるのですよ。あらかじめ敵機の来るコースを予想して、先に引き金を引くわけです」

利彦は、緊張と武者震いでガタガタと身体が震えた。「蒼龍」は全速で走っている。米軍雷撃機も、必死であった。
「次々に魚雷がこっちに来るのですが、あたりません。 魚雷が通りすぎるのを、何本も見ました。 船がうまくかわしていくんですが、それ以上に上空の零戦が敵機を追っかけるので、敵は狙いも定まらず魚雷を落すんです」

こうして、再び米雷撃機の大半は、零戦に撃ち落とされてしまった。撃墜された米軍機が海に漂い、沈みかけた翼にしがみついた搭乗員が見えた。皮ジャンパーを着て、頭には制帽の上にレシーバーをかけている。初めて目にする、アメリカ兵の姿であった。
 とにかく零戦の活躍で、四度にわたるアメリカ軍機の攻撃をかわすことができた。この時、日本兵の大半が思った。
「敵の爆弾は、当らない」と。

艦内では何を手間取っているのか、第二次攻撃隊が出てこない。利彦は、「何でもいいから、早く出てこい!」と、足踏みするくらいイライラした。すると二台のリフトが動き出し、飛行機が次々と現れた。

 この時上空の零戦は全て下に下りてきてしまい、南雲艦隊の上空はがら空きであった。そこに、およそ50機(エンタープライズ34機・ヨークタウ17機)の米軍機が現れた。ドーントレス急降下爆撃機である。

メリカは、まさに計算通りの「黄金のチャンス」を掴んだ。第一次攻撃隊の収容が終り、第二次攻撃隊が発艦しようとした一瞬の隙である。米軍機は零戦に追われることなく、太陽を背に次々と急降下を開始した。

「確かに見えました。日本の急降下爆撃は45度位の角度ですが、米軍機は角度が大きんです。上空をそのまま通り過ぎると思ったんです。ところが急降下してきました」
 真っ先に命中弾を受けたのは、空母「加賀」であった。

「加賀が、やられたっ!」兵士たちは絶叫した。
「加賀に当ったところも、見ました」佐藤利彦
そして、「蒼龍」にも・・・
「あっ、当たると思った瞬間大音響とともに、顔面を鉄棒で殴られたような衝撃と同時に、吹き飛ばされました」
 二度か三度の大爆発の振動で、利彦は正気に戻った。
「起きあがろうとしてもできません。頭部から血がどくどく流れて目に入り、左目が見えません。そして、右足のももが手すりに挟まって抜けません」

力任せに、周りの兵士が利彦の足を引き抜いた。重傷である。顔面にも熱線をうけ、顔面の皮は全て焼失した。
「右の鼓膜が破れたんですねこの時に、顔の皮が全部なくなり眉毛だって一年間は生えてきませんでした」
 耳に栓をしていた者は、鼓膜が無事であった。
「破片がね、凄いんですよ。甲板にいた兵が、血だらけになっていました。その兵たちが、艦首の方に駆け出したんです。すると上官が、血だらけの彼等に『馬鹿もん、これくらいの傷でどうする』と怒鳴りつけていました」

結局この時の攻撃で、赤城に二発、加賀に四発、蒼龍に三発が命中した。午前725分のことである。
「蒼龍」は蒸気管が破れ、エネルギー源を絶たれて主な機械が停止した。停電となって、消火作業も出来ない。

空母は燃料のほかに、航空機用の爆弾・魚雷を満載し「浮かぶ火薬庫」のような状態である。消火作業も出来ない「蒼龍」の内部では、次々に爆弾・魚雷が誘爆を繰り返していった。740分には、格納庫が爆発し艦中央部に裂け目が入った。一時間後には、総員退去の命令が下された。

「蒼龍」は、なすすべもなく漂流していた。
「何とか歩く事が出来たので、艦内に入ったんです。死体だらけでした。息のある兵隊たちが、水 水っ!と叫んでいました。しかし、聞こえないんです」利彦

 利彦はこの時、自分の右耳鼓膜がやられたことに気づき愕然とした。

「後ろの下甲板に負傷者を集めたのですが、みんなひどい火傷でしたよ」密封された鉄の格納庫の中で、数千度の熱線を浴びた姿は、利彦が数年後長崎原爆の時に目にする火傷の惨状と同様のものであった。蒼龍は沈み始め、佐藤利彦も海に跳び込んだ。

「私は梅干の樽につかまって、浮いていました。鮫の背びれが見えました。泳ぎながらフンドシをはずして、足首に巻き付けました」多くの兵士が、フンドシを垂らした。
 鮫は、自分よりも長い相手には決して攻撃しない習性を持つからである。佐藤利彦は、駆逐艦「磯風」にに拾い上げられた。

「甲板の上で横になった瞬間、疲労感でそのまま眠ってしまいましたよ」駆逐艦「磯風」の上で、利彦氏は「蒼龍が沈むぞ」という声を聞いた。こうして「加賀」と「蒼龍」は、相前後して沈没していった。

「蒼龍は艦首を高々と上げ後部から、沈んでいきましたよ」
 ほぼ蒼龍の姿が海面下に没したとき、蒼龍は大爆発を起こした。潜水艦用の爆雷が、沈没の水圧で爆発したと言われている。午後420分のことである。

「赤城」は、翌66日魚雷で処分することになり、4本の魚雷が打ち込まれた。「飛龍」も午前2時に、魚雷で処分されていく。
 目が覚めた佐藤利彦には、心配事があった。実弟の尚家(現在札幌市在住)も、同じ「蒼龍」に搭乗していた。

駆逐艦「磯風」の前甲板には、100体以上の死体が並べられていた。ひとつひとつ顔を確認していくが、見つけることは出来なかった。すると、元気に通り過ぎる兵隊がいた。ひょいと横顔を見ると、弟の尚家であった。
「声を掛けると、包帯だらけの私の顔を見て、兄貴も助かったのかあと言うのです。無傷の弟は、そのまま下士官と歩いて行ってしまいました。なんて冷たいやつと、思いましたがね。それっきり、その弟とは戦後まで会うことはなかったんですよ」

2千名の乗組員のうち、生還者は130名と言われている。その中で兄弟は二人そろって生き残り、「奇跡の兄弟」と称された。

その後、利彦は駆逐艦磯風の艦内で、重傷者の介護にもあたったが、医薬品も不足し、火傷には天ぷら油をぬるだけであった。汚物と悪臭の中で、重傷者は次々と息を引き取り、水葬が続けられた。それは、おびただしい数であった。こうして、ミッドウェーで日本は、歴史的な大敗を喫した。
 611日の『朝日新聞』は「太平洋の戦局此一戦に決す」という見出しで、「今次の一戦において米航空母艦勢力を殆ど零ならしめ、太平洋覇権の帰趨全く決した」と書いた。そして、米空母「エンタープライズ」「ホーネット」の 二隻を撃沈したという、大本営発表を掲げている。
 もちろん真相は、全く逆であった。610日の大本営発表は、日本の損害として、航空母艦1隻喪失、同1隻大破としている。アメリカ側は、空母「ヨークタウン」を失っただけであった。

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