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         柳 条 湖 事 件                                     
                         満州事変勃発


 
 
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      〈前方のカーブガ爆破地点らしい〉

 
        〈列車が通る。2002 8〉
 
 
      〈列車が行くと地元の人々が渡る〉


 瀋陽の玄関口「瀋陽北駅」の更に北側に、柳条湖事件の現場がある。父親を失った張学良は、愛国精神に目覚めその後蒋介石に接近していった。これによって、日本の満州政策は順調に進まなくなっていった。関東軍の急進派は、一気に打開する方法を考えた。

 1931年6月、興安嶺方面を密偵中の中村震太郎大尉が逮捕され射殺されるという事件がおこり、俄かに日中間は緊張した。そして9月18日、日本関東軍参謀石原莞爾たちは、奉天駅東北の柳条湖付近の満鉄線路を爆破した。これが柳条湖事件である。

 それを中国軍の仕業として、中国軍の駐屯地北大営等を攻撃していく。こうして、満州事変が始まった。
 満州事変のシナリオはこの石原莞爾が考え、共に実行したのは関東軍参謀の板垣征四郎といわれている。当時の若槻礼次郎首相、幣原喜重郎外相を中心とする内閣と陸軍中央部は「不拡大方針」を事件の翌日9月19日に決定したが、当日関東軍はここ瀋陽と長春を占領してしまった。

しかも関東軍は朝鮮軍による増援をえて、ついに政府の方針を撤回させてわずか5ヶ月で満州を占領していった。
 10月に国際連盟理事会は、日本への期限付き満洲撤兵勧告案を13対1で可決するが、日本は無視する。その後日本は、中国
から満州を切り離し「満州国」を建国、愛新覚羅溥儀を長とする傀儡政権を作り上げる事は承知の通りである。

はっきりとした『柳条湖事件』の爆破地点は中国側も特定できないらしいが、大体の地点は、特定できる。近所の人々が自由に線路を渡る姿が、のんびりとしていた。その時の爆発は、とても小規模で爆破のあとすぐに、列車が通過したらしい。張作霖爆破事件では爆破が大きすぎたので、火薬を減らしたというから、計画的である。

9・18事変記念館 

この柳条湖事件を、中国側は9・18事変と呼ぶ。事件現場の傍に、『9・18事変記念館』が隣接している。85年に日本での教科書問題に危機感を感じた中国側が、整備をすすめて近年また改築されたものである。かなり大きな展示になり見ごたえがある。

抗日運動や日本の残虐行為の展示が殆どだが、日本軍の軍犬が中国人を食べるシーンの展示はやはり考えされる。出口には、近年の日本国内の動きが展示されている。石原東京都知事や小泉首相の靖国神社参拝や発言が、取りざたされ警戒されていた。

 翌日(8月15日)の終戦記念日を前に、国営放送cctvのテレビカメラが私達を撮影している。記念館の入り口には、事件当時日本側が立てた偽りの記念碑がある。これは、終戦の直後に中国民衆に引きずり倒された。現在も倒されたそのままで、展示されている。ここにも、中国民衆の怨念を感じ取ることができる。



   
     〈旧 9 18 記念館 2004 8 14〉             〈日本軍が建てた記念塔は、終戦時に引きずり倒された〉

  
   〈新しい「9 18 事変記念館」 2004 8 14〉                   〈内部の展示〉 

   
    〈日本軍が軍犬に中国人を食べさせる展示〉              〈展示されている人骨は、本物だという〉 

    
                      〈9 18事変記念館の展示 2004 8 14〉 

   
                         〈731部隊の展示もある〉    


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