HOME〉Korea                                                    Korea〉2008 -2003



                      
安重根義士記念館
            
アンジュングン
 
 
大韓民国                                                                
     
    
                      (ソウル市内にある安重根義士博物館  2007 8 17〉
 
 
             
              
〈安重根義士博物館〉 

 
             〈安重根〉

 

    
 〈当時のハルビン駅と使用された同型のベルギー製の拳銃)
      

安重根は、韓国では「抗日闘争の英雄」と評価され、「義士」と呼ばれる。ソウル市内に彼の偉業を伝える「安重根義士記念館」」が、1970年に建設されている。ソウルタワーが見渡せる、南山公園の中腹にある。かつては日本式の神社が建てられていた場所である。

安重根(アン・ジュングン、1879年9月2日-1910年3月26日)は、もちろん明治の元勲そして初代韓国統監であった伊藤博文を暗殺したことで知られる。

黄海道の家に生まれ、東学党に反対しキリスト教に改宗。1907年
の高宋の強制退位と軍隊解散、それに伴う義兵闘争の高まりのなかでウラジオストックへ亡命、そこで「大韓義軍」を組織し、抗日闘争活動に入る。
 抗日闘争の彼の決意の堅さを表すエピソードとして、同志とともに薬指
を切り、その血で国旗に大韓独立の文字を書き染めた「断指同盟」の逸話は知られている。
 

伊藤博文暗殺

1909年10月26日午前9時、ハルビン構内でロシア蔵相ココフツェフと会談するためにハルビンに赴いていた伊藤博文(当時枢密院議長)に安重根は群衆を装って近づき拳銃を発砲、大韓帝国の国旗を振り韓国独立を叫んだ。

ホームでロシア兵の閲兵を受けていた伊藤に銃弾3発が命中し、伊藤は約30分後に絶命した。安重根はその場でロシア側に逮捕され2日間拘留された後、日本の司法当局に引き渡された。

留置中に伊藤の死亡を知った際、安重根は暗殺成功を神に感謝して十字を切り「私は敢えて重大な犯罪を犯すことにしました。私は自分の人生を我が祖国に捧げました。これは気高き愛国者としての行動です」と述べたという。 

1910年死刑執行の当日、安重根は世話になった日本人看守の千葉十七に、「先日あなたから頼まれた一筆を書きましょう」と告げ、「為国献身軍人本分」と書いて署名し薬指を切断した左手の墨形を刻印した。
 そして彼は、「東洋に平和が訪れ、韓日の友好がよみがえったとき、生まれ変わってまたお会いしたいものです」と語ったという。

 
1910年3月26日安重根は旅順刑務所内にて処刑された。伊藤が絶命してからちょうど5か月後であった。

韓国併合に慎重な立場であった伊藤博文の死は、韓国併合を逆に加速させることともなり、8月22日、韓国は日本に併合されることになった。

安重根は伊藤博文の暗殺による裁判の中で暗殺の理由として伊藤博文の15の罪を述べた。伊藤博文とは無関係であることも多いが、彼はただの愚かな暗殺者ではなく、多くの尊敬を集めている。

韓国のミン皇后を殺害した罪です。
韓国皇帝を廃位させた罪です。
5条約と7条約を強制的に結んだ罪です。
罪のない韓国人たちを虐殺した罪です。
政権を強制的に奪った罪です。
鉄道,鉱山,山林を強制的に奪った罪です。
第一銀行券紙幣を強制的に使った罪です。
軍隊を解散させた罪です。
教育を邪魔した罪です。
10 韓国人たちの外国留学を禁止した罪です。
11 教科書を押収して燃やしてしまった罪です。
12 韓国人が日本人の保護を受けようと思うと世界に嘘をまき散らし た罪です。
13 現在韓国と日本の間で競争が休みなく殺戮が絶えないのに泰平無 事なように上に天皇を欺いた罪です。
14 東洋平和を破った罪です。
15 日本天皇陛下の父である太皇帝を殺した罪です。

  
      
          〈伊藤博文にはこのように銃弾が撃ち込まれた。     安重根の母             千葉十七に捧げた書)

                                BEFORE〈〈    〉〉NEXT

 
inserted by FC2 system