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 「ハノイヒルトン」 ホアロー収容所
                               

  
ベトナム ハノイ                                      十勝毎日新聞にて連載 2012 1
   
  
                〈フーティプ池に残るB52の機体。裏側から見たところ  2012 1 6 午後3時 〉
   
 
 
          〈表側から見たところ〉

     
       
〈米軍機は鳥の群れのようにやってきた〉
 
  

「そうです。鳥の群れのように米軍機がやってきました」。インタビューしたハノイ市民たちは口を揃える。
 19721218日から29日にかけてハノイは、米軍の大規模な空襲に襲われた。計一千機の軍用機が動員され8万トンの爆弾が投下された。ハノイ市内の3分の一が破壊され1300名が死亡している。アメリカは「ベトナムを石器時代に戻す」と豪語し、北ベトナムに計16万回の出撃を行ったと言われている。北ベトナムは、中ソからの支援で対空砲火を浴びせた。当然撃ち落とされる米軍機も数多い。北側は4千機の米軍機を撃墜したと発表している。

この197212月に撃墜された米軍機のひとつが、現在もハノイ市内中心部に残っている。フーティプ池とよぶ池の中心部に、ジュラルミン製の機体の一部が突き刺さっている。金属回収者たちに相当な部分を持ち去られているが、明らかに大型爆撃機B52の機体と分かる。次々と欧米の観光客が現われカメラを向けている。

撃墜されたということは、同時に多くの米軍パイロットたちが捕えられた。収容先は、フランスが植民地時代に建設した刑務所「ホアロー収容所」である。当初は独立運動家たち政治犯が主に収容されていたが、米軍パイロットたちで膨れ上がった。そしていつしか「ハノイヒルトン」と呼ばれるようになる。
 収監されていた米軍パイロットの中で最も有名なのが、共和党の前大統領候補だったマケイン候補である。彼の操縦するスカイホーク戦闘機は対空ロケットで撃墜され、重傷をおったまま彼は収監。彼の父親が米海軍の現役司令官だったため彼は一躍有名人となり、本人は両国の政治交渉の中で翻弄されていく。その結果5年以上という長期間ここで過ごすことになった。
 現在のホアロー収容所はビルの谷間にある。展示物の半分は米兵のものになっており、戦争の愚かさを現代に伝えている。
 1960年から75年の15年に及ぶベトナム戦争。冷戦時代のその期間アメリカは最大時50万人の兵員を送り巨額の戦費をつぎ込んだ。この戦争(地元の人はアメリカ戦争と呼ぶ)での北ベトナム側の戦死者は民間人を含め実に約300万人、対する米軍は58000名。単なる数の比較だけでもベトナム人の犠牲はけた外れであった。


     
                〈ホアロー刑務所は当初政治犯が中心であったが 2012 1 6 

    
          〈米軍パイロットたちがあふれた〉                    〈本国からの手紙を読む米兵〉         

       
   〈労働がなくホテルヒルトンと呼ばれるようになった〉   〈マケイン候補は2000年に訪問していた〉

      
    〈米軍パイロットたちにも帰還の日が〉  〈完全に破壊されたハノイ旧市街も現在は人と車両があふれる〉
      
   
                     
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