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  本別空襲Ⅱ 堀本敬子さん
                                   
 ほりもとけいこ

                                                                                 
     
   
                    (本別高校の敷地にある山内教頭の慰霊碑の前で  2004 7 14) 
    
 

          
           
〈石山さんがいた哨戒所〉〉 

      
      〈語る堀本敬子さん  本別高校にて〉

 
         〈空母サンジャシント〉 

 
        〈当時の本別空襲被害地図〉

堀本敬子さんは、1927年(昭和2年)に現在お住まいの北海道中川郡本別町勇足で生まれた。1940年地元の小学校を卒業した後、池田高等女学校の普通科に進んでいる。同級生は56名。1クラスに56名の大所帯である。

列車通学をしていたが、常時空襲に備えて゜防空頭巾」を持参していた。1944年(昭和19年)の卒業後は、深川市に新設された道立保健婦養成所に進んだが、翌年戦局の悪化とともに学校は解散となり6月に実家に戻っている。
 その後、保健婦として本別町役場で勤務するようになった直後の714日、この日は北海道の各地が米軍機の空襲を受けた。

池田町の駅周辺も空爆され、その爆音などが勇足にも聞こえたのです」
 そして翌7月15日。まんじりともしない夜が明けると、空襲警報が鳴り本別への列車通勤も見合わせていた午前8時15分ころ、上浦幌方面から爆音とともに、カラスのような黒いものが見えました。

「米軍の、艦載機だったのですね。旋回しながら翼をふり、他の飛行機に合図を送っているようでした。幾つもの編隊に分かれ、数十機の米軍機が本別に向かったのです。その後は、激しい爆音と振動が勇足にも響きました。その米軍機は、勇足も襲ったのです」

堀本さんはただ一人、自宅の押し入れにもぐりこんだ。米軍機は、堀本さんの家にも機関銃を撃ちこんだ。
「厚い四枚の蒲団の下にもぐりこみました。気がつくと、蒲団の二枚目の所に銃弾が刺さりこんでいました。機銃は回転し、黒く蒲団が焦げていました」。両親は家におらず、弟さんは線路で激しい機銃掃射を受けたという。

「米軍機が去り、外に飛び出すと人っ子ひとり見えない無人の町のようでした。一晩中、本別の町が燃えているのが見えました」。
 翌日、奇跡的に動いていた鉄道に乗り、本別に向かいます。そして、ここで堀本さんが見たものは。まさに地獄絵であった。

「駅舎は残っていましたが、駅からでると町中の建物が焼け落ちて、利別川の橋や川の堤防が見渡せました。何もかも焼けて、臭気がものすごく驚きました。地面が熱くて、履いている皮の靴を通して熱さを感じました。 家が一軒入るような、大きな穴があいていました。奇跡的に、役場の建物は残っていました。
 役場で指示で、救護所に指定された近藤旅館で運ばれてくる負傷者の救護にあたりました。様様な、負傷者が運ばれて来ました。
 ある少年は、片方の足を付け根の部分までひどい焼けどをしているのです。倒壊した自分家を目の当たりにして、中に閉じ込められた母親に、おかあさんおかあさんと叫んでいるうちに、片足が便槽を踏み抜いてしまったようです。便槽内の物は、高熱で沸騰していたというのです。機銃掃射で、肺を打ち抜かれた小学生。首のない遺体もありました。

 両目を失明し、手の指が第一間接からなくなっている女性が居ました。聞けば、防空壕代わりにしている自宅の室(むろ 食料を備蓄する地下室)に避難していたが、家屋は燃え落ちその熱で室の中も火炎地獄の有様。家族が気づき、被っている蒲団の上から防火用水を直接バケツで掛けたそうです。しかし、火傷はひどくその後北見市の病院に送られたのですが、ダルマのようにはれ上がったまま亡くなったそうです。
 医薬品も不足しました。包帯が足りず、神社ののぼりを引き裂いて包帯代わりにしたりもしましたよ」。

「無差別爆撃なんて、あっていいものなのか?500名ほどいた、本別の軍隊は何をやっていたのかと強い憤りを感じました」。2003623日

   
             〈道東空襲被害図)

  
    
           〈攻撃を受けている本別町)                       〈当時の本別中学校の生徒と職員) 

     
                     〈米軍機の多くは、この南側から進入してきたとされている  2009 7 ) 

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