HOME〉Guadalcaanal                                             Guadalcanal Island >2003-08


            
    紛争地帯 現在の餓島                            

  
ソロモン諸島                       
    
       
                        (過激派のリーダーが逮捕。当日の新聞報道 2003 8 14)                                              
 
    
         
〈持田派遣員から国内情勢を伺う)

 
     〈多国籍軍による武器の回収が行われていた)
 

 
      (ホニアラ市内のマーケット)

 
  
 (迫力あるローカルダンス。メンダナホテルで〉 

 
      (ベチガマから内陸部を見る) 

        
          (レエジィー先生)
 
 現在のガダルカナル島とソロモン諸島について少々述べてみたい。
 私は、拠点としていたメンダナホテルで日本大使館の持田貴雄派遣員と出会い、翌日大使館で貴重なお話を伺うことができた。 日本大使館は、人口5万人の首都ホニアラの大通りに面したビルの三階にあった。多くの国々の大使館が入っている、雑居ビルスタイルであった。
「大使館の日本人は4人だけなんです。私も2年半ほどここにいます」持田派遣員

 私はやはり2000名もの多国籍軍が派遣されている、民族紛争から尋ねてみた。
「ふたつの勢力があります。ガダルカナル人とマライタ人の問題です。人口10万人のガダルカナル島に、隣のマライタ島から渡ってきたマライタ人が4万人ほどに増加してきています。勿論仕事を求めてやって来たんですが、のんびりしたガダルカナル人と比べマライタ人は勤勉で経済力を伸ばす傾向にあります。 
 母系制のガダルカナルと父系制のマライタ人では、財産相続に関する考えも違います。結果的にマライタ人の勢力が強くなり、保守的なガダルカナル人の一部がそれに危機感をもって過激派が誕生したわけです」

私は前日買った現地の新聞を、開いた。持田さんは指さし
「そうです、この人物です。このホラルド・ケケという35歳くらいの男が、カリスマをもって過激派のリーダーとなり、次々と暗殺を繰り返しているのです。先日教育相が殺害され、事態は急に緊迫しました。98年からこの問題は燃え上がり、2000年にはクーデターが起こって、多くの外国資本は撤退したままです。ケマケザ首相が国連を頼りましたが、イラク・パレスチナ・アフガン問題で忙殺されている国連は、相手に出来ないのです。 それで、太平洋諸国会議に頼み込んだのです。この組織のリーダーはオーストラリアですから、この大国の思惑つまり太平洋を支配する政策もあって、多国籍軍が組織されて派遣されてきたのです。
 治安の悪さは、予期できない性質のものなんです。街中でいきなり興奮した男が発砲したり、暴走族があばれるような性質のものが多いんですよ」

「なるほど」
「一族が集団化するワントークや、復讐をよしとするこの地域特有のペイバックの生活習慣も、事態の好転を妨げています。治安的には現在が一番よい状態です。いい時にこられました。ただ、危険ですから町からは出ないで下さい」
「それで主に、多国籍軍は何を任務としているのですか?」
「民間に流れた武器の没収と、回収です。821日に期限が設けられており、それ以前に武器を提出すれば、罪を問わないというものです」
 なるほど、815日付けの地元紙「ソロモンスター」を見ると、多国籍軍は1000丁を越える夥しい銃器をすでに回収していた。この先多国籍軍が村や島々を廻る日程が、大きく掲載されている。 そして、821日以後武器所持が発覚した場合は、1年以下の懲役と2300ソロモンドルの罰金と明示されていた。

「どうしてこんなに、銃器があるんですか?」
「警察にマライタ人が多くて、横流しをしたのです。ですから、警察の武器庫から武器が消えたといわれています。
 それとブーゲンビルの独立運動が盛んですから、そっちの組織からも流れてきています」

「ところで、マライタ人とガダルカナル人とは、随分違うのですか?」
「もちろん現在は混血が進んでいますが、典型的なマライタ人は金髪でずんぐり型の体型です。ほらフランシス、そうですよ」
「そういえば、フランシスはマライタ生まれと言っていました。言葉はどうですか?」
「どの種族も民族語を持っていますが、ビジン英語を共通語として使っています。この町に出てきて一月も生活すれば、文法のやさしいビジン英語は話せるようになるんですよ。 とにかく近日中に、ホラルド・ケケについては大きな展開があって、歴史的な瞬間をここで御覧になれるかも知れませんよ」

果たして、翌日(2003814)ホラルド・ケケは自首し、身柄を拘束された。新聞によれば、埋められた遺体も掘り起こし殺人に対する立件もされるということである。当日首都ホニアラ市内は、ひっそりとしていた。この新聞報道を真剣に目にする市民の表情が印象的であった。

人々のくらしぶりを、のぞいて見たい。経済は破綻し、インフラの維持も難しいようだ。停電が非常に多かった。夜間レストランにいても突然の停電で、一瞬真っ暗になることが多々あった。 休日には、計画的な長時間停電もあるらしい。
 撤退した外国資本も、治安回復のおくれで撤退したままになっている。経済の実権を握っているのは、オーストラリア人1000名の華僑である。町の商店経営者の大半は彼等であり、中国系の人々が多く目につく。 教育は、どうなっているのだろか。

「クーデター以後、特に高等教育が崩壊していますね」持田派遣員
 私たちは814日、アウステン山東側のベチガマ村にある私立学校「ベチガマ チャーチスクール」を訪問した。市内からミニバスにのり、降ろされたバス停から2キロほど炎天下の道を歩いてたどり着いた。ここには、博物館があり戦時中の展示がある。 機関銃やエアコブラ戦闘機も並んでいた。そもそもここは、ヘンダーソン飛行場の敷地内にあたるわけである。
 アウステン山も見える広大な敷地には、校舎が建っている。たまたま通りかかったレエジィー先生が、いろいろとお話をしてくれた。
430名ほどの生徒がいまして、殆どは寄宿舎生活です。私の家も、あの校舎の裏にあります。その裏には池があって、あひるも牛もいます。そうそう忘れていましたワニもいますよ。笑」

「私は、歴史や体育も教えています。午後の授業は体育でサッカーをします。あのサッカー場の後ろにあるのが、農園です。地元のサツマイモを栽培しています。ここではカサバーあるいはアニヨックと呼びます。生徒も、昼食に食べていますよ。笑
 ご存知だと思いますが、この国はふたつの勢力に別れて紛争が起きています。クーデターのあと、旅行者も減ってしまいました。どうですかせっかく日本から来ていただいたのですから、教室に入って生徒にお話してくださいませんか」

 私はまったく準備をしていなかったし、なにせ高校生相手の高度な英語には自信がなかった。
「いえいえっ、あのう無無理です。笑」
 帰り道は車を準備してくれそうだったが、私はのんびり歩きたかった。

「さようなら。お元気で」
 レエジィー先生は、何時までも手を振ってくれていた。帰り道は、トラックが私を拾ってくれた。炎天下の荷台に乗りながら、この島ののどかな農村地帯をながめた

          
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