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      歴史都市タラス サマルカンド
                
                               

  
カザフスタン・ウズベキスタン                                     十勝毎日新聞にて連載予定                                            
 
  
     〈正確な場所は分からないタラスの古戦場。私はNHKシルクロード取材班同様カザフ側のタラス市を訪問。2012 8 2 撮影〉 
      
              
 
 
  〈カザフの人々は明るく元気。カメラにも積極的。タラスで〉

 
  
     〈古代サマルカンドのレギスタン広場〉

 

       〈レギスタン広場のシェルドルメドレッセ〉
 

 


■タラス河の戦い

751年当時の唐とアッバース朝の中央アジアの覇権を巡る天下分け目の戦い、この機会に中国側の捕虜から製紙法が西方に伝播したとして世界史に名を残す「タラス河の戦い」。
 いったいその戦場となった場所はどこなのか、不明というのが実態であろう。タラスという町の名はカザフ側にもキルギス側にもあり、両者ともにこの地域の中核都市である。
文字通り「タラス河」が両方の町に流れるが、私はカザフ側のタラスを訪問した。

 タシケントから、マルシュルートカを乗り換え計280キロほどある。タラス(ジャンプール)の町は人口30万ほどだが、広大な地域に町が広がり、鉄道・タクシーそれぞれのターミナルが大きく離れている.
 タクシーの運転手に写真を見せて連れて行ったところは、なるほど町外れの小高い丘。
 丘の上には「テクトルマス廟」という霊廟が建てられ、タラス河のゆったりとした流れを見渡すことができる。管理人と運転手が私に、必死に霊廟に案内しようとするが、私の目的は「タラス河」である。お二人はタラス河の戦いのことを全く知らぬようで、話がかみ合わない。

しばしタラス河を眺めた。現在中央アジアがイスラム化されているのは、この戦いの意義が多い。中国は万単位の兵力を失い、当分の間この地域の覇権争いから手を引くことになった。

■サマルカンド

この地域最大の歴史観光都市は、間違いなく「サマルカンド」である。英雄チムールが建設したこの都市と帝国の存在意義は大きい。しかし猛暑の中でも観光客が押し寄せていることは必至で、私は最後の訪問地と位置づけていた。
 
89日ベガワードの唯一のホテルで私は宿泊を拒否され(日本大使館に手伝ってもらったが)、急遽遠路宿を求めてタシケント入りした。
 翌日、この国自慢の高速鉄道「アフラシャブ号」260㌔1800円 で、サマルカンド入りした。土曜日も重なり列車は賑わっていたが、朝
6時前に切符売り場に行き座席は獲得できた(残席45)。そのかいあり、この旅初のエアコン付き移動機関で快適に過ごすことができた。

私が最も楽しみにしていたのは、列車の名前にもなった「アフラシャブの丘」である。チンギスハーン率いる悪魔のようなモンゴル軍が、五日間で廃墟にしてしまったホラズム王国の都古代サマルカンドの都市遺跡である。
 
じっくり見学しようと意気込んで行ってみたものの、日中の暑さは凄まじい。早々の退散を強いられたが、雰囲気はすばらしい。
 モンゴル軍の来襲は
1220年3月の出来事である。
 廃墟のままの遺跡の中に、時々あきらかに住宅らしいものがある。
800年前、人々の暮らしがあったのだろう。丘の上からは、その後の繁栄したサマルカンドが見渡せる。なるほど「モンゴルは破壊し、チムールは建設した」である。
 


  
                〈中央アジア最大の観光スポット、レギスタン広場。暑すぎて人影もまばら  サマルカンド〉
                                         
  
  

                 〈夕刻のグリ・アミール廟  その中にチムールの棺がある。本物は地下にある〉

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         〈伝説の多いビビハニムモスク〉
                    〈アフラシャブの丘の住居跡〉

   
                      
 〈サマルカンドのアフラシャブの丘で。2012 8 10〉

                          
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