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    イスラム原理主義との闘い
          1999年日本人誘拐事件 

                               

  
キルギス ウズベキスタン                                      十勝毎日新聞にて連載予定                                            
   
  
      〈真夏でもキルギスでは雪山を見ることができる。ビシュケク南のキルギスアラトー山脈の4000m峰  2011 8 6 撮影〉
                                                       〈キルギス帽を被る男性 ジャララバードで〉
       
              
 
  
  
    
         〈事件を報じる当時の新聞〉
 


 ウズベキスタンは、日本とほぼ同じ面積の国土に人口3000万。恵まれた気候の中で、古くから農業と東西貿易で栄えてきた。一方キルギスは人口わずか500万。日本の半分の面積の大半は山岳地帯が占め、どこにいてもそして真夏でも雪を頂いた美しい山の姿を見ることができる。そして国民の大半を占めるキルギス族は、遊牧騎馬民族として長い間シルクロードの民として君臨してきた。しかしのんびりした両者の暮らしを、現代世界はいつまでも許さなかった。

ソ連崩壊による、突然の資本主義の乱入。そして90年代は「過激なイスラム原理主義」の嵐が隣国タジキスタン・アフガニスタンから吹き込んだ。それは当時のビィンラディンによる豊富な資金源に支えられた「タリバーン勢力」が中心であった。彼らのイスラム国家を創設しようとする極端な活動は、独立したばかりの中央アジア4カ国政府を震撼させた。
 そしてその中で起こったのが、キルギス領内で発生した
1999年の三井鉱山技師誘拐拉致事件である。四人の日本人と三人のキルギス人が二か月に渡り誘拐され、解放後も三億円にも上る身代金問題で揺れたあの事件である。

 私は、日本人の通訳として一緒に誘拐されていたキルギス人とビシュケシュ市内で会い貴重な体験を伺うことができた。簡単に紹介したい。

「真夜中激しい銃声の後、戸外に出た私の後ろから銃弾が飛んできました。その後タリバーンの兵士が、あっという間に宿舎にしていたトレーラーハウスの窓から侵入してきました。慣れた手つきで腹に機関銃を突き付けてきました。写真などで見たことがある、髭面のタリバーンの兵士でした。昼間も作業現場の近くで、キルギス軍との間で交戦がありましたので予想はついていました」。

犯人グループは、当時タリバーン勢力下にあった「ウズベキスタンイスラム運動」と名乗るウズベク反政府系武装組織である。その名の通りウズベク人を中心に、ウズベキスタンにイスラム原理主義国家を武力で作ろうという組織であった。

「この組織は当時約15000名で、アフガンでドスタム将軍やマスード将軍たちの勢力と戦っていました。私たちが作業していた作業現場には、この日50名以上が働いていました。誘拐されたのは7名だけですし、わずか15分くらいの誘拐劇でしたので計画的だと思います。日本人がいることは知っていたと思います。
 グループは通訳は誰だと言いました。もう一人私の弟子の通訳がいました。彼も一緒に行くと言いましたが、私は彼の父親も知っています。私には彼を守る責任があります。私だけが行くと判断し彼はおいてきました。
 周辺には、多くのゲリラグルーブがいました。ビンラディンの影響が強く、タジク人ウズベク人のグループが中心でしたがアフガン人やカシミール人のグループもいました。ゲリラの中には子供もいました。親が連れて来ていました。20歳ほどの若いゲリラが大半でした。
 彼らは皆うまい話に乗せられ、簡単に洗脳されているように見えました。しかし一度入ったら抜けることはできません。裏切り者になります。たとえ抜け出して地元に帰っても自宅の周辺は警官が監視し、家に戻ることは二度とできないのです。その後彼らが自爆テロに進むのはこんな理由が多いのです。私も、ゲリラになることを勧められました。



   
       〈ソ連時代を彷彿ビシュケク市内のトローリーバス〉                〈ビシュケクを代表するツム百貨店

                        
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